
なんども言ってきたように、僕は森達也の大ファンだ。彼が書いている文章に違和感を感じたという記憶がないぐらい、彼の考えは僕の考えでもある。今回も読みながら、あれ?俺同じようなことを(表現はもっとお粗末だけど)以前このブログで書いたことがあるぞ、と思ったところがいくつもあった。
だから今回は本の中の一つの叙述だけを取り上げたい。
この本の190ページにはこんな文章がある。
「戦後世界では一貫して被害者の国として位置づけられてきたポーランドは、行政府である国家記憶院が20世紀になってから史実を丹念に調査し、実はポーランド国民も大勢のユダヤ人を虐殺していたとの事実を公開した。他の多くの国でも、かつてユダヤ人差別や虐殺に関与していた自国の歴史を隠さない。」
残念だが、ポーランドに関しては、現時点では完全に変わってしまった。今年の初めにポーランドの政権を担う右派政党「法と正義」がホロコースト法と呼ばれる法律を成立させた。
この法律はすごいよ! 笑うよ!
ナチスの蛮行の中でも一番有名なのはポーランドのオシフィエンチムという所にあるアウシュヴィッツの強制収容所だろう。数え切れないほどの映画になり、誰でも知っていると思う。今回のポーランドの法律では、このアウシュヴィッツを「ポーランドのアウシュヴィッツ収容所」と表記しただけで、ポーランド人は無論のこと外国人も罰金ないしは禁錮3年の刑とされる。ポーランドがナチスのホロコーストに加担したと言ったりしたら、当然この法律に違反することになる。
ティモシー・スナイダーの「ブラックアース ホロコーストの歴史と警告」という本にはこうある。「我々はしかるべくホロコーストをナチスのイデオロギーと結びつけるが、ユダヤ人を殺したのはナチス以外、それどころかドイツ人以外も多かったことを忘れている。」(p.4)
当時のポーランドがナチスのユダヤ人絶滅計画に組織的に加担したとは思わないし、アウシュヴィッツ収容所を作ったのはナチスドイツだが、中には積極的に加担したポーランド人たちもたくさんいただろう。ナチスに同調したポーランドのファシストたちだっていた。これは多くの証言もある。
こういう法律は、成立させたナショナリストたちにとっては快哉を叫ぶべきものなのかもしれないが、他国からは呆れられ、嘲られる法律だろう。事実西側諸国はどこの国もこの法律を非難している。
同じような問題はトルコにもある。19世紀末から20世紀初め、特に第一次大戦中に当時のオスマン帝国内部のアルメニア人が100万人以上の規模で大虐殺された。これはトルコ人のノーベル賞作家オルハン・パムクもトルコ政府はこれを認めるべきだと発言した。ところがトルコではこの大虐殺は否定されていて、パムクも国家侮辱罪で起訴された。
これに対してドイツ連邦議会は第一次大戦で同盟関係にあったオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を、知っていながらそれを止めなかったとして、当時の「ドイツ帝国にこの大虐殺の責任の一端がある」と認めた。
ポーランドやトルコの姿勢を見て、日本もそうするべきだ、南京虐殺や関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定すべきだ、と思うだろうか? むしろドイツの潔さこそ清々しいと思わないだろうか? それとも、ドイツの自虐史観とでも言うのだろうか? しかしよく考えてほしい。自分の国がやった過去の蛮行を認めることが、なぜ自虐的だとか売国だとののしられなければならないのだろう? やってないことをやったというのなら自虐的という言葉も当たっていよう。しかし、南京も震災もやった側の日本人の証言が山のようにたくさんある。やったことをやったということが自虐的なら、犯罪を犯した人間は誰も自供しなくなる。
これがネトウヨレベルの無教養な連中が言っているだけなら大した問題ではない。そんな奴はどこの国にも全体の数パーセントぐらいいるだろう。だけど、ポーランドもトルコも、そして日本でも政治家にそういう連中が多数派を占めていたりするのが問題なのだ。
過去の蛮行を認めないことこそ国益を損なっている。ドイツのようにそれを認めることで民主的な国として他国から一目置かれるようになる。ちょっと考えれば当たり前のことだ。アメリカやヨーロッパで従軍慰安婦を否定することがどう作用するか、ちょっと考えればわかりそうなものなのに。それを海外の新聞広告に載せちゃうような右派インテリたちがそれによって日本のイメージを悪くしているということに気がつかないはずはないと思うのだが。だから、結局あれは自己満足のためにやっているのだろうと思う。彼らの自己満足のために日本全体のイメージが低下するのは一般日本人にとってはた迷惑な話である。
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