アンクティルが3勝目をあげた年です。こんな雑誌が出てきました。何度か書いたオークションで大量に手に入れたミロワール・ドュ・スポール誌の1962年7月16日号。

表紙にいたずら書きがしてあります。。アンクティルと隣は同じサンラファエル・エリュエチームのルディ・アルティヒの写真にヒゲがいたずら書きされてます(無論私が書いたわけではありません 笑)。この年は以前ご紹介した1964年のピュイ・ド・ドームで史上最高のツールと称される死闘を繰り広げることになるレイモン・プリドールが初出場した年です。
そして30年以上続いた国別対抗の制度が廃止されて、トレードチーム同士の戦いになった最初の年でもあります。なので、ここまでツールに出場しなかったクラシックの帝王リック・ファン・ローイがファエマチームの許しを得て出場した年でもあります。
結果を見ると、この年は山岳TTとチームTT以外に平地のTTが2ステージ、計110キロ以上ありました。どちらも無論アンクティルの優勝。特に68キロの第20ステージは2位に3分、3位のプリドールに対しても5分以上の大差をつけてます。プリドールはこの時総合3位で2位のアンクティルに食いついていたんですが。。。

アンクティルがプリドールに引導を渡すというような意味ですかね。3分前にスタートしたプリドールを40キロ地点で追い抜くところです。
この時点で総合トップだったファエマのヨーゼフ・プランカールトには5分半の差をつけてトップの座を奪い優勝を決定的なものにします。

プランカールトに対しては1キロごとに5秒、50メートルの差をつけたというキャプションが付いてますが、写真はプリドールを置いてきぼりにするアンクティルです。
まあ、こういうTTで圧勝するというやり方はその後インドゥラインが継承しますが、インドゥラインの時もそうだったように、勝ち方がファン受けしない感じなんでしょうね。だからこの後はプリドールの人気がどんどん高まっていきます。ある時、フランス人に、一番好きなフランス人は誰ですかという質問アンケートを取ったら40%以上の人がプリドールの名前をあげたそうです。
ツールでは悲劇の英雄の方がフランス人好みなのかもしれません。そういう意味ではバルデにはぜひジロやブエルタで優勝してもらって、そしてどうしてもツールだけは勝てない、というのがよろしいかと 笑)
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