FBを見ていると安倍批判をする人に対して「何でも安倍のせいにするアベガー」とレッテルを貼ってくる人がいる。このブログへの過去のコメントで、僕も「アベガー」のレッテルを貼られたことが何度もある。この記事はFBでのそうしたやり取りに触発されて書いてみた。(Fさんに感謝)
しかし、「何でも安倍のせいにする」という人は、では安倍ではなく何が悪かったと言うのだろう? そもそもが今のこの国のひどい状態、格差が拡大し、議会ではまともな議論はできず、少数者に対する差別的な発言が公衆の面前で発せられても非難もしない状態、権力が自分にとって都合の良いことは人々の反対を無視して強行し、都合の悪いことは次々と改竄していくこの国の現状を悪いことだと思っていないのだろうか? 悪いことだと思っているが、それは安倍のせいではないと言うことなのだろうか?
こう考えていくと、全てをヒトラーのせいにして自分たちの責任をほっかむりした戦後ドイツの闇が連想できる。だけど何でも安倍のせいにするというのはそういう意味での批判ではないだろう。
戦後ドイツは全てをヒトラーのせいにして、一般ドイツ人たちは何も知らなかったことにした。実際にはナチスの中枢部にいたインテリたちは戦後になっても自分の罪を認めることはなかった。
先日紹介したドキュメンタリー映画「モルゲン、明日」でも書いたけど、1968年の学生運動はそうした父親たちの戦後にノーを突きつける意味を持っていた。
しかし、「何でも安倍のせいにする」という人たちの批判がこういう方向性を持っているとは到底思えない。
確かに、格差拡大の端緒をつけたのは小泉の規制緩和(しかし規制緩和は中曽根レーガン時代にまで遡れるのかもしれない)だし、議論にまともに答えず、茶化してしまったのも小泉が発端だ。しかもマスコミも人々もそれを面白がっていた。そういう意味では安倍だけが悪いわけではない。他にも悪いやつはたくさんいる。
だけど、ヒトラーだけが悪かったわけではないと言うことで、ヒトラーは悪くなかったと短絡させてしまう人が多すぎるのだ。「何でも安倍のせいにする」という批判の裏にはこのような意味が露骨に含まれている。
安倍だけが悪いわけではないが、現在のこのひどい社会の空気は間違いなく安倍が醸し出したものだ。拙ブログでは一時期、安倍的社会とか安倍的空気という言い方をよくしていたが、これをもっと言うべきだった。安倍という存在そのものが現在のこのひどい社会の象徴なのである。それはナチスの時代のひどいドイツの象徴がヒトラーだったのと同じ意味だ。そういう意味で、安倍は現在の日本社会の「悪」を象徴している。
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