昨日は今年初めて100キロを走りました。出が遅かったので、とりあえず奥多摩方向へ50キロ走って戻ってこようと決めて、なんとか100キロちょうどになりました。腱鞘炎になった手首の痛みはちょっとあるものの、まあなんとか耐えられる程度でしたし、今年前半苦しめられた腰痛も、今日になっても今の所出てないので、とりあえずは一安心というところです。
閑話休題。今日、実家へ行ったらその区の区議会議員のポスターの「区民ファースト」という言葉が目に入った。
トランプの「アメリカファースト」以来、小池の「都民ファースト」とか「アスリートファースト」とか、流行り言葉なんだろうけど、これってとても気持ちが悪い。
区民ファーストということは、つまり他の区民なんかどうでもいいと言っているような感じがするのだが、これはただの言いがかりだろうか?
さらに、都民ファーストは他の県の人間などどうでもいい。アメリカファーストは他の国はどうでもいい。
これって、もう少し言えば、俺さえ良ければいいって言ってるのとあまり変わらない。まあ、もう少し正確に言えば、俺たちさえ良ければ他の奴らなんかどうでもいい、だろうか。
一方でこういう言い方によって仲間意識は強められるだろう。俺たち(区民、都民、国民)の結束は強められる。だけどそれ以外の人は?
〇〇ファーストというのは今のトランプ的、安倍的と言ってもいいこの社会を表す言葉だと感じるのである。仲間内の結束を強めるとともに、それ以外の人に対する無関心、場合によっては敵意も生じるのではないか。
安倍が自分にヤジを飛ばした人たちに向けて「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と吠えたのは象徴的だ。世の中の人間を、自分の仲間(俺たち)とそれ以外にわけて、憎悪を掻き立てることで結束を強めようとする。当然のこととして分断は深まる。国のトップが分断を深めようとしているわけである。○○ファーストとはそういう方向へ向かう内向きのフレーズではないのか?
人類の歴史というのはこのような方向に向かうために発展してきたのだろうか?

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト