このところちょっと忙しくて、なかなか考えて書けないんだけど、考えた方がいいとは限らないのでね 笑)
しかし、狂ってる。自己責任だなんて言っている連中はフリージャーナリストが危険なところへ行くのを、彼らが自分の金儲けのためだけにやっていることだと思っているんだろうか?
「勝手に遊泳禁止のところで泳いで溺れた自己責任」などと言う奴すらいる。違うだろ!
比喩を使うのは好きじゃないけど、例えば世の中には危険な仕事がいくつもある。しかもその仕事がなければ僕らの社会も困るような仕事が。高いところに登って作業しなければならない仕事で転落したら、そんな高いところへ登った自己責任だと言うのだろうか?そんな仕事を選んだ自己責任と言うのだろうか?
自己責任って、要するに自分の行動力のないことに対する負い目を隠すための方便だろう。彼らジャーナリストが命をかけて世界に知らせようとしていることは、この世界を少しでも良くしようと思うからやっているのだ。本来、みんなが関心を持てば、社会に圧力をかけられ、社会を変えられるはずのことに、自らは踏み出そうともしないで、その踏み出さない、あるいは出せない負い目を、それで自らに納得させるための、都合の良い言葉。それが「自己責任」だ!
以前も書いたが、昭和の時代に「自己責任」なんて言葉は辞書に載ってなかった。
「私たちが今ここにいるのは運が良かったから」 昭和の時代にはジャーナリストが危険を冒して戦争の実態を伝えることを賞賛こそすれ、非難するような風潮などなかった。「勝手に危険なところへ行って」と言うところで、すでに前提が間違っているのだ。日本には「情けは人の為ならず」という言葉がある。情けをかけるのはあくまで自分のためなのだよ。
この世界には僕らの想像もつかないような環境に置かれた人たちがいる。それを伝えようとする人が窮地に陥った時に「自己責任」だなどというのなら、人間なんて滅んでしまった方がいいんだと思う。

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