1985年のツールはイノーが鼻骨を骨折しながらも同じラヴィ・クレールチームのレモンがいろいろ悶着起こしながらイノーに勝利を譲ったとされる年です。その時の口約束に、来年はレモンを優勝させるから、というのがありました。

鼻骨骨折後、霧のピレネーで喘ぐ鬼の形相のイノー 笑)
開けて1986年、イノーはレモンの勝利をアシストすると言いながらゼッケン1はイノーがつけ、しかもピレネーではデルガドとともにアタック、レモンを置いてきぼりにして約5分半の差をつけてしまいました。レモンとしては内心穏やかなはずはないですね。口約束ですからね。
一方イノーによれば、ライバルたちに罠を仕掛けたのだと。。。その後終盤のアルプスでレモンがイノーを逆転、18ステージのラルプ・デュエズゴールのステージでは、総合2位のウルス・ツィンマーマンを二人の波状攻撃で振り切り、二人仲良くクロワ・ド・フェールを超え(この時の下り、NHKの放送では時速120キロとか言ってました)て、仲良く肩を組むようにして、二人とも笑顔でラルプにゴールしたのでした。

クロワ・ド・フェールの下りを二人で逃げる
それを先ほど思い出していて、いや〜な気分 笑)になりました。いや、先のゲシュケの日記の最後にも書いたんだけど、まさか、フルームとゲラント・トーマスが二人で仲良く肩組んでゴールなんてしないだろうなぁ 笑)
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト