
軽やかな音楽と、ポカンととぼけたような変なユーモア。なのに設定はナチ高官の孫と、その高官にガス室へ送られた女性の孫の話。二人ともちょっとイカれたホロコーストの研究者で、ホロコーストの会議を開こうとしている。だけど、深刻な話になるかと思いきや、なんだかとんでもない話に。
まず主役のナチ高官の孫(ブルーメン【花】という名前)の夫婦関係がなんじゃこりゃ?とあっけにとられる始まりで、ブルーメンは自分の奥さんが男と逢引に出かけるのを見送り、どういう夫婦なの? 今のドイツってこんななの? と呆れる。ヒロイン(ザジ)の方はフランスから来たユダヤ人で、ブルーメンの所属するホロコースト研究会に研修に来たという設定。しかもどこで知り合ったのか映画では説明されていないけど、ブルーメンの同僚と恋人関係。この恋人関係もかなりあけすけに話すんだけど、この辺りも、今のヨーロッパってこんななの? って驚かされる。
この二人が衝突し合いながら、自分たちの祖父(ナチ)と祖母(ユダヤ人)が住んでいたラトビアのリガへ旅行し、徐々に意気投合、愛人関係になっていくというよもやの展開 笑)
実はブルーメンはインポテンツで、奥さんが男と逢引するのを許しているのもそのせいなんだけど、ブルーメンはザジとならデキちゃう。で、二人は結婚すると言ってブルーメンは奥さんを、ザジの方は愛人を捨てそうになるんだけど、最後の最後に少年だったブルーメンがナチ崇拝少年だったことがバレて、ザジは去って行ってしまいます。
なんじゃこの映画? という感じで見ていてあっけにとられることばかり。何しろ登場人物たちの唐突な行動にしばし呆然。ブルーメンは突然同僚に殴りかかって歯を折っちゃったり、会議の席で言いたい放題かと思うと、ザジの方も車から犬を投げ捨てたり、ペンキを頭からかぶったり、風呂場で自殺未遂したり。さらにはあまりにあけすけなセックスの話にもちょっと私の感覚ではついていけない。
だけど、こりゃなんなんだ、と思いながらふと思い出したのが、早死にしたファスビンダーという監督の「マリア・ブラウンの結婚」という映画。アメリカに体を売りながら渡り歩く主役の女マリア・ブラウンは戦後のドイツの象徴であり、最後に監督がこんなのダメだ!とばかりに自爆させる終わり方でした。
この映画もハチャメチャな展開に騙されてはいけません。これは加害者と被害者の和解の話なんですね。つまりブルーメンは現在のドイツを象徴し、一方でザジの方は被害者のユダヤ人(とは限らないのでしょうけど)を象徴しているとすると、インポテンツだったドイツが被害者に許されるかと思えながら、結局被害者は過去のナチを許せず、二人の関係は破綻、「シェルブールの雨傘」みたいな切ないラストシーンになっちゃうことで、本当の和解(許し)は可能かどうなのか、それともあれは和解し(許し)たのか?
「暗夜行路」じゃないけど、許すとは忘却のことだとすると、まあ、そう簡単に忘れることはできないのかもしれません。ただ、最後の最後のザジの娘の名前のオチが、途中で語られる詩と関連するんだけど、このオチがよくわかりませんでした。そもそもオチなのか? ブルーメンに朗読して聞かせた詩のカルミナという名前を娘につけたということで、彼女は娘に命名するときにブルーメンのことを思い出したのでしょうか? それはともかく、最後の決別の時のブルーメン、泣きながら鼻水たらすんだけど、映画であれほど盛大な鼻水見たのは初めてだわ 笑)
この映画はドイツの過去の加害性の話です。こういう映画が日本でも作れないかなぁ、と思ったのでした。
……追記
ある人から教えていただきました。あの最後のカルミナという娘、何のことはない、ブルーメンとの間の子供じゃないかとのこと。ふむ、考えてみればそうだわ。何でそんな簡単なことに気がつかなかったんだろう、俺? どうも詩の解釈に頭が向かっちゃって、見えなくなってしまったようです 苦笑)となると、まさに「シェルブールの雨傘」のラストだわ。
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