深夜のこの番組を録画しておいて、先ほど見ました。南京事件についてはネトウヨ(この言葉を差別用語だという人がいるが、ネット右翼=ネトウヨはヴィキにも出ている。そもそも差別用語というのは、まず本人の意思ではどうしようもない人種、国籍、病気、出自、性別などを侮辱するものだ)とさんざんやりあったおかげで、拙ブログでは繰り返し書いてきたし、個人的にも随分本を読みました。拙ブログの過去ログをリンクしておきます。
堀田善衛「時間」など
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2340.html辺見庸「1☆9☆3☆7☆」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2401.html清水潔「『南京事件』を調査せよ」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2834.html南京事件個人的論争顛末記 笑)
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2997.html笠原十九司「南京事件論争史」覚書き
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3012.html今回の番組では、敗戦当日に大量の軍の公式記録が焼却され(これは何も日本だけではないだろう)、そこには南京事件に関わる文書も含まれていたということがはっきりと強調されていた。
さらに上記の清水潔の本で触れられていた当事者たちの証言ビデオを部分的にだが見ることができた。想像していたほど、証言者たちの口調は苦渋に満ちたものではなかったのが、ちょっと驚きだった。結局、戦争だったんだもの、命令だったんだものという言い訳があるからなのだろうか。そしてみんなが、今から考えれば信じられないことだけど、当時は何にも疑問は感じなかったというのである。
また虐殺はなかったと主張する人たちの根拠となっているのが1964年に出版された両角連隊長の本、さらにはその2年前の両角による地方新聞での「自衛発砲」という説で、その後今日に至るまで、それを根拠として南京虐殺は捏造だという主張が繰り返されてきた(これについては上記の本の幾つかの中でも取り上げられ、疑問が投げかけられている。例えば清水は「自衛発砲説は、戦後になって造られた元将校たちの自己弁護ストーリーと考えたほうが整合性」(p.180)があると明確に述べている)。
両角を取材して記事にした記者の言葉も重い。両角は現場を見ていないこと、両角のメモが戦後の昭和30年代に入って書かれたものであることをはっきりと認め、虐殺はあったと断言するのである。
この番組では捕虜ではなく便衣兵だったというまぼろし派の説も、捕虜たちが暴動を起こした結果の自衛発砲説も、どちらもあっさり否定される。
結局終戦時に焼却されてしまった軍の公式記録が残っていれば、虐殺された人の数もある程度までははっきりしたのだろう。しかしそれがなくなってしまったおかげで、逆に言えば、中国が虐殺された数は30万人だと主張する結果も招いてしまったのである(日本の良識的な学者たちの中でも被害者30万人説をとる人はほとんどいない)。一方で、相変わらず南京捏造説などを唱える人が大臣をしていたりすれば、中国が30万人説を引っ込めるわけがない。
だけど、歴史学を研究しているわけでもない僕らは、正直に言って数などわかりっこない。僕らがこの歴史的事件を知って考えるべきことは、(拙ブログでは何度も繰り返してきたことだけど)次のようなことではないだろうか?
この世の中には0.01%の悪人と99.99%の普通の人がいるわけではない。普通の人がとんでもないことをするから、人間は恐ろしいのだ。綺麗事を言うつもりなどない。僕だって1937年12月の南京にいたら、他の兵士たちと全く同じことをしただろうと思う。今はただ、この歳になるまで人を殺したこともないし、人に殺されることもなく生きてこられた運の良さに感謝するしかない。その自覚がなければ僕らはいつまでたっても同じことを繰り返す。
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