1980年代末、秋田県鳥海山でホビーレースがあった。確か第二回だったと思う。レースの結果は前日の飲みすぎが祟って散々だったけど、そのままチームメイト達と北上駅の前で別れ、その後一人で岩手県を5日間、850キロ走ったことがあった。
旅の目的地は安家洞。私の苗字の由来とはまるで無関係らしいのだけど、子供の頃に地図帳でこの名称を発見して以来、いつか行ってみたいと思っていた。
北上から盛岡へ出てそこから東へ岩洞湖という不気味な沼のような湖を抜けて早坂峠を越え、龍泉洞を見てから小浜で海沿いの45号線に出て北上、普代を通過して安家川沿いの砂利道に沿って安家洞へ。そこから海沿いを最終的に井上ひさしの小説「吉里吉里人」で有名になった吉里吉里まで南下して、吉里吉里駅から電車に乗って帰ってきたんだったと思う。最終日はさすがにものすごい脱力感で疲れ切って帰宅した。体重が5キロ以上減っていた。
実はそれから数年後にもう一度、やはり一週間以上かけて一関から遠野を抜けて、やはり45号線を青森の八戸まで北上し十和田から奥入瀬を通って湖から南下して八幡平を超えた後、ずっと南下して一関に戻るというコースで走ったことがあったのと、さらに友人と岩手や秋田を走ったことがあったので、その辺りの記憶がいろいろ混じり合っている。
例によってカメラなど持たず、なるべく身軽にして、必要なものは現地調達を旨としていたので、記録がないから記憶に頼るしかない。当時は記憶にしっかりと刻めば写真なんか撮らなくてもいい、とイキがっていたけど、この歳になるとかなり後悔してますね。
昨日図書館へ行ったら3・11コーナーができていてこんな本が置いてあったので、思わず借りてみた。
まだ三分の一しか読んでないけど、田野畑や島越という地名が懐かしかった。僕が行った時は第三セクターの鉄道で、駅名が宮沢賢治の「グスコーブドリ」や「銀河鉄道」にちなんで「カルボナード島越」とか「カムパネッラ田野畑」とか銘打って、駅舎も、特に島越はパステルカラーのドームが付いてて、なんじゃこりゃあ、と笑ったものだった。この島越の駅舎は津波で全壊、検索すると現在の新しい駅舎は以前とは違う赤レンガになっているようだ。
道路の記憶も、45号線はこの本にあるような交通量の多い道路ではなかった。トンネルが結構あって、トンネルの中だけはものすごく道が荒れていた。冬にチェーンをした車が走り、トンネルの中は雪がないので荒れているのだろう。島越のあたりで海に向かって下り、海沿いの道を通って港のそばでラーメンを食べた記憶がある。2トントラックの荷台にウニが山のように積んであった。
リアス式海岸の上から海を見ると、沖合の空気の色が三層になっているように微妙に色合いが違っていて、崖の上の空気と海に近いところの空気の温度が違うせいなんだろうと思った。
安家川沿いの道を遡っていくと、舗装路が途切れて砂利道になる直前に大きく古い家があって、そこのおばあさんが門の前にいて水を撒いていたので、ボトルに入れさせてもらった記憶もある。あのおばあさんはかなりの年だったからもう鬼籍に入られているだろうと思うが、あの家は津波の被害にあったのではないだろうか。
その時は安家川のすぐ北にあったえぼし荘という国民宿舎に、僕の名前のおかげで無理を言って二日間泊めてもらったことを覚えているけど、あそこはかなり高台にあったように思うけど、津波の被害は大丈夫だったんだろうか?
もう一度行ってみたいけど、もう自転車で行くのは無理だろう。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト