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唐突に1991年ツール・ド・スイス

2018.02.09.16:02

昨日ホーイドンクの写真を探していたらこんなものが出てきました。右端が市川選手ですね。
IMG_1452_convert_20180209155640.jpg



この年、市川選手が所属していたブライカーチームは、他の色んなチームの選手を加えてツール・ド・スイスに出場したんですね。だからマイヨの胸の文字がバラバラだし、パンツの横の文字も違ってますね。左から四人目なんてカレラのマークでカレラチームの青いジーンズ仕立てのレーパンです 笑)

こんなことができたんですね。そういえば、1995年のツールではテレコムとZGチームが混合チームという形で出ていました。この時は当初テレコムはツールに呼ばれてなかったんですが、抗議したらイタリアのZGと一つにすることになり、テレコムから6人、ZGから3人出場となりました。ただしマイヨは別々だし、連携もあまりなかったようですけどね。

そんな中でツァベルが2勝して、翌年はエースにビャルネ・リース(95年総合3位)を招聘して総合優勝、プロ2年目のヤン・ウルリヒも2位になり、強豪チームになったのでした。

ところで、ブライカーの写真、その後また別の機会に市川さんにもらった絵葉書ではみんなお揃いのマイヨになってますが、実はよく見ると一人だけ違います。写真が小さくて、ちょっとわからないかもしれませんが、この中では一番有名な選手ベアト・ブロイ(左から4番目)だけ、ホィーラーの黄色い帯が入ってます。
IMG_1453_convert_20180209155731.jpg

これはベアト・ブロイの個人スポンサーみたいです。このブロイという選手は82年にツールの山岳で大活躍したんですね。ラルプ・デュエズでの優勝を含み、山岳でステージ2勝、総合6位になっています。この時のハンドルに覆いかぶさるようなダンシングはここで見ることができますね。


1時間以上付き合えないというのであれば、41分ぐらいからどうぞ。

しかしほとんどずっとダンシングです。ブロイが映る場面では8割がたダンシングじゃないでしょうか。信じられんなぁ。それと、この時代のポジション。ハンドルとサドルの高さがそれほど差がないです。80年代前半から中頃にかけてはハンドルステムを目一杯上げて、ハンドルとサドルの高さがあまり変わらないスタイルが流行りました。だからですかね、ブロイのダンシング、腕が長すぎるみたいに肘を大きく曲げて左右に張り出すような走り方ですね。

というわけで、ブライカーに所属していながら、自分を個人的に応援してくれるスポンサーの名前を入れてしまう。今では考えられないことですが、のどかな時代だったんですね。



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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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