草野心平が中原中也の死を悼んだ「空間」という題名の詩がある。
中原よ
地球は冬で寒くて暗い
ぢゃ
さやうなら
ずっと、「こちらは冬で寒くて暗い」だと思っていたけど、今回調べたら地球だった。
小学校から大学を卒業するまで、非常に仲が良かった友人が亡くなっていた。小学校時代は裏山でよく戦争ごっこをした。近くの飯場跡地にあった汚いヘルメットをラッカーで深緑色に塗って、棒っきれを銃代わりに、コンバットごっこをした。中学の時には好きな女の子の話をしたこともあった。学生時代になると酒を飲みながら明け方まで、映画や文学や漫画の話をした。頭のいい奴でいろんなことを教えて貰った。だけど言い出すと聞かない奴だった。だから時々ケンカもした。
絵がとてもうまいやつだった。小学校時代、僕も美術の時間のスケッチではみんなから上手だと言われていい気になっていた。ところが、僕の絵を見て「吉田の方がずっとうまいな」というやつがいて、どんなものかと見に行った。レベルが違った。
ある意味クセのあるやつで、教師に公然と口答えをして時々殴られていた。当時は校内暴力などない時代で、年配の教師の中には戦争に行ったなんていうのもいたから、生徒を殴る教師は珍しくなかった。
大学で哲学を専攻して、その後公立高校の教師になった。働き出したら住まいも離れて連絡はほぼなくなった。会ったのはお互いの結婚式ぐらいだった。だけど、巣鴨の、今はない300人劇場で上映された映画を見に行ったら、偶然に会ったこともある。
去年の暮れ、何十年ぶりかで小学校のクラス会があって、そこで15年ぶりぐらいにあった。いろんな話がしたかった。だけど話はあまりできなかった。また来年と言って別れた。
今年もクラス会をしようということになって、連絡したら6月4日に亡くなったと言う。話したいことがたくさんあったのに。
そして、
地球は冬で暗くて寒い
合掌
****追記(2017、12、7)
思えば、映画を誰と一緒に一番観たか? あいつだった。「2001年宇宙の旅」や「アラビアのロレンス」のリバイバル(テアトル東京だった)、最初の「スターウォーズ」やタルコフスキーの「ソラリス」(レムの原作を教えてくれたのもあいつだった)や「鏡」も、そして今では忘れてしまったたくさんの映画を一緒に見に行った。会わなくなってからは、男の友人と映画を見に行くことはなくなった。埴谷雄高の「死霊」を勧めてくれたのはあいつだった。ドストエフスキーや大江健三郎はあいつが読んでいたから僕も負けじと読んだ。樹村みのりや大友克洋の漫画はあいつに教えてもらった。当時政治の話は全くと言って良いほどしなかったけど、今の「暗くて寒い」日本社会について、どんな思いを持っていただろう? 会わなくなってから、どんな本や映画を見たか、どんなことを考えたか、話したいことはたくさんあった。
なんでも話せた友が死んで残されるってこういうことなんだな。
「そのうち会おうというならば、
今すぐどうだ、とっととどうだ」(友川カズキ)

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