非常にわかりやすい映画だし、現代社会のいろんなケースを連想することは容易だろう。原作者はアメリカ人で、自分自身の経験をもとにしたものらしいが、それを現在のドイツに置き換えてある。
高校の体験授業で独裁制について教えることになった教師が、まず、授業中だけ、自分のことを苗字に「さん」づけで呼ぶこと、というルールを決めると、最初のうちは面白がっていたり反抗的だった生徒たちが、徐々にクラスの一体感を感じ始めて、どんどん暴走する。
確かにクラスがまとまって、それまでクラスの中では異端とみなされていたトルコ系の生徒も差別感を感じないようになれる。それまでいじめられていた生徒がそうした一体感の中でどんどん気が大きくなり、エスカレートしていく。
みんなで白いシャツとジーンズという「制服」や、挨拶のポーズを決めて、HPを立ち上げ、シンボルマークまで作って、街中のあちこちにいたずら書きを始める。
ちょっとしたカリスマ性があれば大衆操作なんてチョロいチョロい。しかも教師が言わなくても、生徒たちがどんどん忖度して、ユニフォームを着てなければ仲間はずれにしたりする。
仲間で団結するということは、仲間でないものに対しては排除したり敵意を見せたりしがちなのである。
しかもこの映画では、主人公の教師は最初から人望があったり、カリスマ性があったわけではない。最初の授業で自分のことを「さん」付けの苗字(それまではファーストネームで呼んでいた)で呼び、発言するときは立ち上がってすること、と決めたことから、自然と教師に権威ができてくる。
昔、日韓W杯で最優秀選手になったドイツのGKオリバー・カーンが、TV番組?で日本人の小学生たちを相手にアドバイスした時、日本人小学生たちの行儀の良さに呆れたとコメントしていた。ドイツの小学生たちはもっと行儀が悪いし、おしゃべりはうるさいし、話を聞いてないやつもたくさんいるのに、日本の小学生はすごい!と、半分呆れながら感心していた。ある意味、ドイツから見たら日本の学校なんてのはかなりの管理教育に見えるんだろうね。
それはともかく、こうしてクラスに一体感が出てくるとともに生徒たちの学習意欲も高まるし、不良たちと付き合っていた生徒も真面目になる。管理する側が独裁的な手法をとると、人は容易にそれに快感を覚え、生きがいを感じるとともに、管理する側もとても楽ちんになるわけだ。権力者が独裁制に憧れる理由もよく分かる。安倍さまを支持するネトウヨ、なんていうのが簡単に連想できるシチュエーションではある。
俳優は教師役が「エーミールと探偵たち」で悪役をやったユルゲン・フォーゲル。「エーミール」では歯並びの悪い、いかにも悪党そうな、一種吸血鬼じみた雰囲気を出していた。
あまり他の映画で見ないな、と思っていたんだけど、少し前に見た「ローゼン・シュトラッセ」に出ていた。
主人公の生徒もどこかで見たなと思ったら、「ナポラ」の主役。そういえば監督も「ナポラ」の監督だった。

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