芸人にまで教育勅語の内容は悪くないなどという輩がいるそうだ。ぼーっと読めば、別に常識的な事が書いてあるじゃないか、親孝行せよとか友達同士仲良くせよとか。
しかし、ちょっと待ってほしい、そんなのは教育勅語のポイントでもなんでもない。
前にも書いたように、そんなものを称揚するために教育勅語を持ち出す必要性などまるでないのである。
教育勅語の精神というのは、前にも書いたように、いざ事が起きたら天皇のために命を投げだせというところなのである。ここがキモね。特攻隊なんていうバカな戦法を担保したのがこの精神なのである。だけど、本当に天皇はそうしてくれと思っていたのか?
学生時代、読んだことあるというアリバイ作りで読んだ坂口安吾、何も覚えていなかった。読み直すと、今の時代にそのまま通用しそうな事がたくさん書いてある。例えばこんなところ。
「天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。(中略)それは彼らが自ら主権を握るよりも、天皇制が都合が良かったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が真っ先にその号令に服従して見せることによって号令がさらによく行き渡ることを心得ていた。」(続堕落論)
天皇の名の下に、権力者たちは自分たちの欲することを人々に押し付けたのである。
教育勅語の文面を作ったのは明治天皇などではない。体裁だけは明治天皇が与えたという形にしているだけで、天皇を利用して自分たちの権力を守ろうとした当時の権力者たちが考え出したものである。
今また、天皇を利用して、自分たちの権力を守りたい奴らがいる。教育勅語をめぐる問題は、内容がいいか悪いか(天皇のために死ね、なんて悪いに決まっている)などではない。あれを押し付けたがっている連中の意図(天皇を利用して権力を守るという意図)こそが問題なのである。

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