防衛大臣の稲田某が例の極右幼稚園の訴訟に弁護士として出たことなどない、知らぬ存ぜぬと言ってから、すぐに記録文書によってその嘘がばれた。さらに少し前にはその園長を表彰したのは民主党じゃないか、と安倍は言ったが、すぐにそれが嘘だったことがばれた。
どちらも普通の人なら、勘違いしたんだろう、みっともない、と思うところだ。だけど、そうじゃないんじゃないか。トランプにもそういう傾向があるらしいけど、嘘でもその場ですぐバレなければ、あとはその嘘が一人歩きし、嘘だとばれた頃にはすでに印象が出来上がっているから、構わない。しかもこれまでも嘘なんていくらでもついてきたから、一つや二つ嘘をついてばれても痛くもかゆくもない。そういうことなんじゃないか、そんな気がしている。
そういう風に見ていくと例の在日特権とやらを主張していた連中も、実はそんなのないことを承知の上で言っていたのではないか? 嘘でもいいのである。拡散すれば信じる奴、信じたがる奴はいくらでもいるから。ポスト真実というやつだ。
拙ブログにもかつて、「お前のように年金をもらわなくてもやっていける金持ちは」なんて書いてきた人がいたし、昨今も、「レースにも出たことないくせに」といってきた人もいた。びっくりしたが、これなんかは、こうした連中の典型的な思考法なんだろう。嘘でもいいから言ってしまって、それを攻撃すればいいと思っているんだろう。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出てくるゾシマ長老の言葉に、嘘をつくと、その嘘を本人が信じ込んでしまうというようなセリフがあった。以前書いたように、言葉にしてしまうと、その自分が発した言葉に取り込まれてしまう。
嘘をつかない人はいない。誰でも、わざと嘘をつくことは、人生で何度もあることだろう。でも問題はそれがばれた時だ。彼らはばれても恥じるどころか、最初からばれても構わないと思っているのである。つまり、嘘をつくことを『戦略』として使っているのである。おぞましい世の中である。
よろしければ、下の各ボタンを押してくださいませ。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト