とんでもない映像を見た。安倍を積極的に支持する人達はこういう幼稚園へ自分の子供を入れたいのだろうか? 正直なところ、こんな画像を自分のブログに貼りたくはないのだけど。。。
僕は前に相模原事件の土台にあるのは安倍的社会だと思うと書いたことがある。つまり容疑者が自分の障害者抹殺計画を是非安倍首相に伝えてくれ、という文を書いていたことに、そう考えたのだ。確かに、安倍がそれに納得してGOサインを出すはずはないと思うが(思いたいが)、しかし、容疑者は少なくとも安倍的なものを慮(おもんばか)ったのは間違いない。今回のこの映像でも、安倍は俺は知らん、やめろと言った、と言うかもしれない(実際それに近いことを言っているようだ)が、安倍的なものを一生懸命応援していこうというのは間違いない。そしてそうした連中が作った幼稚園では、どうやらかなり凄まじいことが行われてきたらしい。犬の匂いがするからと言って辞めさせたとか、外国に対する露骨なヘイト的文章を親に配ったり、虐待まがいのこともあったという噂だ。あくまでも噂だから、本当のところは知らない。しかし、こういう幼稚園が現れるというところに、安倍的社会の蔓延を感じざるをえない。
こういう幼稚園に安倍の夫人が名誉園長になっていた(今はやめたらしい)というのから見ても、安倍的社会の行き着く先はこういう北朝鮮みたいなカルト国家なんだろうと思わざるをえない(これも拙ブログでは最初から言っていたことだ)。愛国心を押し付けるというのはこういうことなのである。
コメントをくれた方が書いてくれたことだが、昭和30年代まで、祝祭日にはごく普通の家で日の丸を掲げていた。確かにそうだった。うちにも国旗があったようなおぼろげな記憶がある。そこにあったのはごく普通の愛国心、戦争に負けてボロボロになりながら、戦後なんとか普通の生活が送れるようになった時代の、ああ、この国に生まれてよかったという安心感のような、家族愛とか郷土愛とかそんなものの延長としての自然な愛国心だったんだと思う。
しかし、その後愛国心が政治的に利用されるようになった。一部の右翼団体などが日の丸を掲げて街宣車で走り回ったりし始めた。昭和40年ごろになり、一般家庭で祝祭日に日の丸を上げる家はほとんどなくなった。つまり、人々は日の丸の持つ政治性を感じざるをえなくなったのであろう。それに賛成とか反対とかいう以前に、普通の人は政治的なことに巻き込まれるのはまっぴらだから、祝祭日の日の丸はまず見ることがなくなったんだと思う(現在、ネトウヨ諸君だって日の丸を祝祭日にあげていないだろう)。
これが保育園や幼稚園でも強制するという噂もある。それが実行された後は、一般家庭に強制してくるかもしれない。しかし強制するというのはこういうことなのだ。必ず暴走する奴が現れる。まさにロクでもない奴が威張り散らすようになる。
しかし、権力者が愛国心を強制したいのはなぜか? これはちょっと考えれば分かることだろう。身も蓋もないことだが、自分たちの権力(利権)を守りたいからである。もし万が一戦争にでもなれば、一般国民が命を差し出して、自分たちの権力(利権)を守ってくれなくては困るからである。こういうことをいうと、必ず僕を共産主義者扱いする人がいるが、では、愛国心を権力者が強制したがるのは何故なんだろう? 是非納得いくように教えて欲しい。
僕は国とは人々が助け合うためにできたと思いたい。であればこそ、拙ブログのエピグラムとしてあげている八尋光秀さんの言葉をもう一度見てもらいたいと思う。
「社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。」
ところが、今の社会はまさにこの言葉の真逆をいっていないか? 1%の超金持ちがますます金持ちになり、貧しいものはどんどん増えていく。力をかざす者がやりたい放題である。逆ギレして嘘八百を胸を張って並べ立てればスルーできる。こんな社会でいいのか? こんな社会をみんな望んでいるのだろうか?
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