今年最初の安倍否定を書いたら、案の定、さっそく落書きコメントが書き込まれた。
書いてきた人は僕を「極左」(苦笑)だとレッテル貼りして、おきまりの民進党批判。そしてそれで思考停止。僕の書いた安倍批判の内容(いうまでもなくこちらが本題だ)についてはまるで考えることすらしていないだろう。そもそも「極左」って彼(彼女?)にとってどういう意味なんだろう、どういう定義づけなんだろう? 何れにしても、この人に限らず、これまでこうした落書きコメントを書いてきた安倍支持の人たちで、きちんと安倍支持の論拠を書いてくれた人は全くいない。僕を民進党のシンパだと誤解して、民進党の悪口を延々と書き連ねた人もいたが、ではなぜ、安倍支持なのかには全く触れなかった。
いうまでもなく、僕は民進党の支持者ではない。それは拙ブログの過去ログをたどって貰えばわかるだろう。確かに最初は鳩山首相にものすごく期待した。しかし、その期待は徐々にしぼみ、当時の民主党が惨敗する前の段階では、拙ブログでは野田を罵倒しまくっている(しかし、それでも今になってみれば、安倍よりは比べ物にならないほどマシだった)。
しかし、こうしたコメントを書いてくる人たちのほとんどは議論したり、僕を説得したり、論破してやろうなんて考えない。たまに論拠らしきものをあげて、僕の書いたことに長文で反論してきた人もいたことはいたが、僕の言葉尻を捉えるだけだったり、内容がトンチンカンだったり、どこぞのネトウヨの文言を繰り返すだけだったりした。そして僕の再反論に答えることはまずない。だから僕は、こういうのを落書きコメントと呼んでいる。
僕はこういう人たちのそれぞれがどういう人かは無論知らない。彼らがそれぞれ安倍がやることによって個人的に利益を得るのであれば、それは安倍を支持するのも当たり前だと思う。そういう人もある程度いるだろうし、それを説得するつもりはない。不思議なのは安倍がやること(秘密保護法、安保関連法、原発再稼働、原発や武器の輸出、TPP参加、カジノ解禁、社会保障費削減、格差拡大、差別意識の助長などなど)によって、個人的利益を得るどころか、むしろ不利益をこうむるはずの人たちが、安倍を支持しているということだ。これは本当に不思議でしょうがない。
イラク戦争の時も、自分が戦場へ行く立場なのにブッシュを熱烈に支持した人たちがたくさんいたそうだ(今度のトランプも同じことにならなければいいけど)。ジャーナリストの堤未香さんが、元旦の東京新聞で書いていた言葉だ。
「人間の歴史を見ても『独裁者』とは、大衆が思考停止し、感情に支配された時にこそ生まれる」。

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