映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」は、
以前拙ブログで紹介した「ヒットラーを狙え! 運命の7分間」と同じ、第二次大戦前夜にヒトラー暗殺を企てたゲオルク・エルザーを描いた映画。13分と7分っていう誤差が気になるけど 笑)
まあ、比べる必要もないほど、こちらの方が映画としてレベルがずっと上だ。だけど辛い。これもナチスに反対した大学生たちの裁判の様子を描いた「白バラの祈り」のような辛さ。どちらもなんの救いもないし、特に「白バラ」の最後はあまりの無残さにショックを受けるので、一般の映画ファンにはお勧めできません。
最初の方で捕まってしまう点も「白バラ」と似ているけど、「白バラ」は検事とのやりとりにサスペンスがあるのに対して、ここでは尋問=拷問の合間にエルザーの過去の追憶が挟まれていく。ドイツのどこにでもあるような田舎の村が徐々にナチス色に染まっていく経緯が恐ろしい。
普通の飲み屋の親父が突然ナチスの突撃隊の制服を着るようになる。子供達はヒトラーユーゲントのいでたちになり、村の収穫祭はナチスのお祭りになっていく。村の入り口にはいつの間にやらユダヤ人は入るなの警告が掲げられ、ユダヤ人の伴侶がいた女は首から「私はユダヤ人と関わった豚です」という看板をぶら下げて晒し者になる。
あまり知られていないけど、ヒトラーは政権を取るとすぐに、公務員にナチスに従順なものだけを雇用し、そうでないものやユダヤ人を解雇する法律を制定し、同時に、ナチスに入党しない労働者は賃金を下げられたり、職にあぶれたりするようにした。
こうなれば普通の人はナチスに入党するだろう。そして映画の中でもそうだけど、ロクでもない奴らが威張り散らす社会が出来上がる。普通の人たちは何かおかしいと思いながらも、自分に関係ないと知らんぷりを決め込む。戦争に向かっていることは明らかなのに、戦車製造の映画を見て喜び、戦争の悲惨さを何も考えていない人々。
結果から見ると、ナチスなんて、当時のドイツ人はどうかしていたんだ、と思うけど、そこに至るためには実に巧妙にことが進められていたわけだ。同時に、一般の人々にとっては、日々の生活が一番で、ナチスが国をどの方向へ向かって導いていくかなんて、関心がなかったんだろう。つまり、戦争になるまでは、ナチスに従順であれば生活は保障され、恐怖とは比較的無縁に生きられたわけである。そして戦争になってからも最初のうちは連戦連勝で、特に東ヨーロッパでの略奪行為によってドイツ国内の生活は潤ったわけ。
そんな中で、エルザーは共産党員の友人がいたとはいえ、戦争になると直感して、一人孤独に、誰にも明かさず、ヒトラーの爆殺(ナチスから見ればテロだ)を企て、失敗して逮捕され、拷問にも屈せず黙秘を貫こうとするが、捨てた恋人のために尋問に屈する。
ナチスとしてはユダヤ人でも共産党員でもない、腕のいい職人の生粋のドイツ人がそんなことをするなんて信じるわけには行かず、何としてでも背後にイギリスがいる、エルザーはイギリスの差し金で働いたのだという筋書きを作ろうとする。以前にもちょっとだけ紹介した「ヒトラー暗殺」という本によると、ドイツがイギリスに勝利した暁には、イギリスのヒトラー暗殺計画の証人として利用するために、終戦直前まで処刑されなかった。
エルザーを取り調べる刑事が、のちの
ワルキューレ作戦に関与し、刑死したネーベという人物だというのは作り話だと思うけど(2018年2月2日追記: ネーベが取り調べたという説は日本版のヴィキペディアでは書かれています。ただ、ドイツ語版にはネーベの名前は出てきません。このあたりはよくわかりませんが、こういう映画は勝手に事実関係を捻じ曲げないのかな、とも思うので、ひょっとしたらネーベがエルザーを取り調べた可能性はあるのかもしれません)、その表情が少しずつ変化していくのが、とてもうまい。エルザー役の役者共々、最近どこかで見てると思ったら、
先日見た「白いリボン」の教師と牧師だった。
というわけで、今回の映画は結末も最初から分かっているし、かなり意地悪な言い方をしてしまえば、戦後も東西冷戦のあおりを受けて、ずっと無視され続けてきたエルザーに対するドイツ人の負い目から作られた映画です。でもね、日本だって当時の軍国主義の中でそれに反対して捕らえられ、獄死した者もいるのに映画にはならない。
あ、表題は、やっぱり自転車好きとしてはこの映画で出てくる自転車のシーンが気になります。村には坂道がいっぱいあるんだけど、自転車がそれを登るシーンが全くない。エルザーは降ってばかりいるので、なんとなく彼と国の運命に引っ掛けたくなっただけです 笑)

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