今日は狭山湖へ紅葉を見に行くつもりだったのに、なんと久しぶりに発熱。うーん、ラスコーの髑髏の呪いか? いや、冗談ではなく、ラスコーの帰りから喉がイガイガしだしたんですよねぇ。。。
さて、暴言王にして差別意識丸出しの大金持ちが大統領になるってわけで、その前にいの一番に馳せ参じて、「信頼できる」と持ち上げた上で、それを誇るのもどうかと思う。戦後レジームからの脱却って、大統領の予想が外れたら、大慌てでアメリカに尻尾を振りに行くことなのか?
一方でドイツのメルケルは、人権と人間の尊厳を尊重するならトランプと協力していく用意があると発言した。もう多くの人たちが書いていることだけど、政治家としての格が違う。ただ、これはメルケル個人の人格品格というわけではなく、ヨーロッパの政治家なら、極右政治家以外は、保守から革新まで、ほとんど全員が共有しているものだろうと思う。
それに対して、これまで安倍がやってきたことを見ていると、トランプとの相性はいいだろうと思えるのが恐ろしい。沖縄での機動隊員による差別発言を差別ではないと言い張る担当大臣に続いて閣議でも差別と断定できないという見解だそうだ。
差別的なことを言った部下に、それは差別だ、そういうことを言ってはいけないと、上に立つ者が、きちんと言えないのは恐ろしいことである。あの機動隊員は普段からああいう言葉を使っていたのだろう。だからつい出てしまったのだ。彼らにとっては普通の罵詈雑言と同じ感覚だったのかもしれない。それを周りの人間がきちんと、そういう言葉は使うべきではないと教えなければならなかったはずなのだ。これは言葉だけの問題ではないのは当たり前だけど、まずは何よりも、そういう言葉を発してはならぬと言わなければならない、そんなの当然のことだろう。
繰り返し書いたことだけど、相模原の障害者施設での大量殺人事件の犯人は、安倍なら自分のやったことに理解を示してくれると信じていたのは間違いない。そもそもが、あんな大事件なのに、大した非難の言葉も口にせず、むしろ異常な者(精神障害者)の犯行という切り取り方をして、措置入院について検討せよと命じた。これこそ別方向での差別の助長だ。
差別意識というのは恐ろしいもので、誰にでもある。偉そうなことを言っている僕にもあるのは
だいぶ昔書いた通り。ただ、その内にある差別意識を、本音と称して、恥じることもなく外に出したその瞬間に、その人の人格はワンランク堕落するのだと思う。
月並みだけど、人間は誰でも心の奥底に暗闇を抱えていて、それをコントロールしようとしてきたのが人類の文化の歴史だったんだと思う。だけど、人の心の奥底の暗闇は、常に僕らを堕落させようと狙っているのではないか。このイメージは、僕に、坂口尚の漫画によく出てきた「悪」の象徴のような絵を思い出させるのである。例えば、

とか、

こんなイメージ。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト