戦後のドイツと日本の戦争に対する対応の違いがよく言われる。しかし、この映画に描かれる1958年ごろ、ドイツでもナチス追及の気配はほとんどなかった。ナチ時代のことをほじくり返そうとすると、売国奴となじられたのである。この映画の主人公はフランクフルト地方検察庁の若い検事。アウシュヴィッツにいた武装親衛隊員が小学校の教師をしていることを知り、彼を起訴しようとする。
昔、1990年ごろの映画に「ナスティ・ガール」というドイツ映画があって、ドイツの女優としては珍しく可愛らしいレナ・シュトルツが主役の高校生で、地元の町のナチ時代を調べ始めると、町の人々から村八分にされるという、ちょっとコメディ・タッチの映画があった。
少し前に読んだ
「ヒトラーに抵抗した人々」でも、あるいは先日紹介した
「ヒトラー暗殺、13分の誤算」でも、ヒトラー暗殺を企てた彼らの名誉が回復され、ドイツの良心として賞賛されるようになるのは、かなり経ってからだ(特に後者のエルザーはドイツ統一後まで待たなければならなかった)。
映画は主人公の検事が地元の元アウシュヴィッツの看守だった男たちを探し出すと同時に、アウシュヴィッツの悪名高い「死の天使」と呼ばれたドクター・メンゲレを逮捕してドイツで裁判にかけようと努力する。
ただ、この時代のドイツ、人々はアウシュヴィッツを知らないし、知っていても記録映画で見せられただけで、しかもそれは戦勝国によるプロパガンダだと思い込んでいる。それはそうだ。町の気のいいパン屋の親父が戦争中、アウシュヴィッツで残虐行為に励んでいたとは誰も思わない。ひょっとしたら、自分自身だって思わないのかもしれない。そして、戦後の東西冷戦体制のなか、ソ連が解放したアウシュヴィッツは西側にはあまり伝わらず、アメリカとしては対ソ連の政策としてナチの大物を反共に利用できると考えた(もっとも、これは日本でも731部隊なんかを思い出せば同じだったことがわかる)。
その合間を縫うように、メンゲレを始め、ナチの大物が、ナチ体制崩壊後のドイツでも堂々と逃げおおせたのである。彼らを守ったのが一部のローマカトリック教会の司祭たちだったというのは、映画「ホロコースト、アドルフ・ヒトラーの洗礼」(原題「アーメン」)でも描かれていたが、この映画ではもっと別のルートからも彼らを守る勢力があったことが暗示されていて(アメリカ?)、アイヒマンがイスラエルのモサドによって拉致され、裁判にかけられたのも、かなりの困難の末のまれなことだったのがわかる(実際メンゲレは訴追されることなく逃げ切った)。
つまりこの時期のドイツはニュルンベルク戦犯裁判で、ナチズムは全て裁かれ、ケリがついたものとされていたのである。そして「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のところで書いたように、当時のドイツ人にとって、ナチス党員であるのが普通のことであり、むしろナチス党員にならなければ、様々な不利益を被ったのだから、それをほじくり返すことは、当時のドイツ人、つまり主人公の父の世代全てを敵に回すことだったわけである。アウシュヴィッツの看守たちが行った残虐行為は「兵士としての義務」として免罪され、収容者の誰をガス室送りすべきかの選別は、選別してガス室送りを免れさせたと強弁される。
ただ、映画の中で主人公は、当時の全てのドイツ人がナチなら、その中の一部の悪を裁くことの意味があるのかということに苦しむのだが、ちょっと違うような気がした。つまり、ナチであることと、自らのサディズムのままにユダヤ人を殺したこととは別だと思うのだが。。。それに、もし自分だったら、と考え出したら検事という職業はやっていけないだろう。この辺り、映画の中での説得力がやや足りないような気がする。
ところで、少し前に70年の沈黙を破って、ドイツの精神医学学会がナチス時代のT4作戦(障害者の安楽死計画)の謝罪と反省を発表した。なぜ70年も経ってなのか、という問いに対して、会長は、自分たちの恩師が生きている間は、彼らを断罪することはできなかったと言ったそうである。
それを思いあわせる時、この映画の主人公の検事たち(実在のモデルがいる)の凄さには頭がさがる。彼らは関係者たちがまだ生きている間に、ドイツの法律で裁きたいと思ったのである。こうした姿勢が戦後のドイツと日本の大きな違いになっているんだろう。現在、ドイツ人でナチスがやったことを肯定するような若者はまずいないだろう。アウシュヴィッツはなかったなんていうドイツ人はほとんどいない。それに対して日本は???
映画の中で主人公の背広の腕が鉤裂きになって、それが修復できるかが、主人公と恋人の、そして主人公の世代と親の世代の関係修復の比喩になっているのだが、それ以外にも、映像的に面白かったのは、アウシュヴィッツへ向かう主人公たちが乗る車が、一瞬戦時中の車に変わるシーン。ほんの一瞬のシーンなんだけど過去を今に蘇らせようということだろうか。
ただ、最近読んだ「ブラッドランド」という本によれば、強制収容所で死んだユダヤ人の数は、実は戦争中に殺されたユダヤ人の総数のうちのおおよそ三分の一にすぎなかったそうである。
アウシュヴィッツはホロコーストのシンボルに過ぎない。そこに関わったアイヒマンやメンゲレは、さらにそのアウシュヴィッツのシンボルに過ぎない。実際にはポーランド東部からソ連西部(ウクライナやベラルーシ)ではもっとすごいこと、とんでもないこと、想像を絶することが行われていたというのは忘れてはならないし、そうした虐殺作戦に参加したドイツ人たちの多くは、文字どおり、「兵士の義務」として墓場まで口をつむんで行ったのだろう。当時の虐殺舞台のドイツ人兵士が、自らの行為を懺悔したような話はあまり聞いたことがない。あるのかもしれないが。。。
こうして考えると、主に中国で、自分の行いを真摯に見つめて、戦後になってそれを悔い、謝罪しようとしたたくさんの元日本兵の方がまだマシなのかな、と思ったりもするが、そうした良心的な日本人を嘘つき呼ばわりする人たちもいるのが、現在の日本である。

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