20年近く前の某自治体の役所。当時の窓口の、特に年配職員にはかなり酷い対応をする人もいた。母親が行くと、どこにも決まりはないにもかかわらず、窓口の裁量で勝手に提出書類を求められ、憤慨した父親が出向くと、対応が一変なんていう話もよく聞いた。
僕の子供が障がい乳幼児通所訓練施設へ行っていた時にも、この手の話はあった。そういう時は、他の親たちと一緒に市役所へ殴り込み 笑)、否、談判に行ったものだった。
そんな事件の一つを思い出してみる。ただし、以下の話はあくまでも大昔のことで、今はこんな対応をする職員はいないと思う。
障がい児通所訓練施設に通っていた子供の母親が、状態も安定しているし、働きたいので保育園へ入園させたいと申請書を出しに行った。すると、窓口のおやじは医者の診断書と訓練施設の意見書を出せと言ってきた。無論そんな決まりはどこにもない。「いいですか、〇〇ちゃん(若い母親の名前)、〇〇ちゃん(今度は子供の名前)も保育園より手厚い訓練施設の方が幸せですよ」と言って申請書類の受け取りを拒絶した。いくら若い母親でも「ちゃん付け」はないだろうし、どっちが幸せか、どうしてあんたが決めるんだ、とは、くだんの母親はもちろん言えず、訓練施設の職員に訴えた。職員は無論怒って課長に直接抗議したが、同じ市の職員同士、らちがあかなかった。
母親から話を聞いた他の父母たちも腹を立てた。書面で抗議内容を書き、面談を求め、最後に署名として父親の名前を書いた。面談では担当課の課長は平謝り、担当窓口には指導済みであり、今後このようなことはないようにしたいと言う。そして申請書は無論診断書も意見書もつけずに受理された。
窓口の本人は決して我々の前に出てくることはなく、課長だけが謝罪した。当時は、よくわかってなかったから、途中から、課長さんも大変だね、と少し同情したくなったものだった。だけど、今、思い出してみると、窓口のおやじが一人で暴走したわけではなく、当時の課全体にそういう雰囲気(障がい乳幼児を保育園に受け入れないようにしたいという雰囲気)があったのだろうと思えるのだ。
つまり、課としては障がい乳幼児通所訓練施設に通っていたような、手のかかりそうな子供を保育園に入れたくない、入れれば保育士の補充が必要になるかもしれない、言葉にしなくとも、そういう雰囲気があったのではないか。そして、そのために診断書や意見書を要求して申請をやめさせようとしたのではないか。
だから、職員の対応は課の雰囲気の忖度だったのではないか。この「忖度」というやつ、自分が属す大きな場の意思を忖度して、つい暴走してしまうということがよくある。普段から、あからさまではないまでも、それとなく、雰囲気が醸成されていく。すると、そこに属する人たちは、その雰囲気が当たり前のことになり、それが正義になり、悪びれることもなく暴発する。
前にも書いたことだが、例の相模原の障害者虐殺事件の時にも、犯人は安倍首相様にお伝えくださいと書いていた。安倍なら自分のやることを理解してくれるはずだと、犯人は、安倍の意思を忖度したつもりだったのだ。また九州の方で不法に監視カメラを取り付けて野党候補者を応援する人たちを隠し撮りした警察官。あれも、警察の中に与党候補を応援したいという雰囲気がある、と忖度した現場警官たちが暴走したのだろう。
そして今回の沖縄の機動隊員の差別用語の連発。これも、多分そうした流れの中で考えれば、問題がどこにあるのかがわかりやすくなる。沖縄に対する差別意識は、この差別用語を発した一隊員の個人的な問題ではなく、もっと構造的なものなのだ。だから、この機動隊員を非難する人たちも、この点を履き違えて個人攻撃に終始するようなことはすべきではない。
そんなことを考えていたら、案の定というべきだろう、大阪府知事は差別用語を発した機動隊員に「ねぎらいの言葉」をかけている。
窓口で文句を言われて逆ギレして差別的なことを言うような職員がいたら、課長はどんな状況であれ、市民に謝罪するものではないのだろうか?

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト