安倍をヒトラーに重ねるのはおかしいとコメントをくれた人がいる。まあ、おかしいという以上、ヒトラーという人がどういう人かをある程度知っているんだろうね、と言いたいところだ。
確かに、どこをどう切り取るかで、誰かと誰かを重ねるのなんか、いくらでも恣意的にできるわけだ。今の世の中で、安倍をヒトラーに重ねる比喩はたくさん出回っている。だけど、安倍はもちろんヒトラーではない。ヒトラーほどのカリスマ性も人気もないし能力もない。ヒトラーは曲がりなりにも、大恐慌後のドイツの悲惨な失業率を劇的に改善した。戦争を始める前にもラインラントやオーストリアやチェコの領土を「平和的に」(!!)奪い取ってドイツの国土を増やした。無論この「平和的に」は「戦争をせずに」というだけの話だが。
一方の安倍はアベノミクスとやらはほぼ先が見えてきたらしいし、そもそもこの格差社会がまるで改善される様子はない。それに、一般の人々にとっては、生活が良くなったという実感もまるでないわけだ。
そこでふと思ったのだが、ひょっとして安倍はヒトラーと重ねられることを喜んでいるのではないか。以前拍手コメントをくれた方が、ヒトラーと言われても、それがネガティブな意味だと知らない人が、結構いるのではないかと書いてくれたことがあったけど、ひょっとして安倍もヒトラーと言われて、内心喜んでいるのではないか、そんな気がしてきたわけである。
だって、麻生が憲法改正を「ナチスの手口」なんて言ったわけで、これについても、本人は別に変なことを言ったわけではないと思っているんじゃないだろうか。実際その後の特定秘密保護法だって、ほとんどの憲法学者が違憲と言っている「戦争法案」だって、まさに「ナチスの手口」を真似したと言えるようなやり方だった。
「ナチスの手口」、これはブラックユーモアでも冗談でもなく、本気だったわけだし、自分たちをナチスになぞらえることをちっとも悪いことだと思っていなかったわけなのだ。他にも女性閣僚の中には、ハーケンクロイツを掲げるようなネオナチ組織と一緒に記念写真に収まっちゃうような人もいる。彼女らも、ネオナチがなんなのか、ひょっとして知らなかったんじゃないのか?
だから、安倍だって、ヒトラーと重ねられて、まんざら悪い気持ちじゃないのかもしれないと思ったりしてみたわけ。

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