8ステージは、見損なってしまいました。なので飛ばします。しかし、個人的にはまるで知らない選手が次々と勝利を挙げていきます。おとといのラグティンなんて35歳でグランツール初優勝だそうで、すごいですねぇ。
しかし頂上ゴールのステージ、やっぱり逃げが決まってますねぇ。今日はどうなのかな。
というわけでフレーリンガーの方はどうだったでしょう?
……
C: どうだった?
フ: 朝から胃の調子が悪くてね。時間とともに回復したんだけど。サミュ・サンチェスの居間を通過する難しいステージだったよ。
C: おやおや、なんとか乗り越えられて良かったね。今日は集団は結構ゆっくりだったんじゃないの? それともかなり苦しんだのかい?
フ: スタートはあまり良くなかったけど、だんだん順調になったよ。天候が変わるし、プロフィールもスピードも、いろいろ混じりあって、ハードだったね。
C: 今日もまたモビスターがコントロールしてたね。圧倒的な印象を感じているかい?
フ: うん、圧倒的だね。9人が絶好調だね。リーダージャージは意図的に脱いだんだと思う。パーフェックトなタイミングだよ。22秒差なんておあつらえ向きだ。
C: 君たちは9日もハードなレースをしてきて、明日はラゴス・デ・コバドンガの伝説的な登りだね。優勝候補たちが派手に争うことになるんだろうか?
フ: 最初の本物の「長い」登りだ。優勝候補たちが互いにステージ勝利を目指した戦いを繰り広げるんじゃないかな。
C: 何より上手く回復することを願っているよ。ありがとう。また明日。あと二つの山を越えれば休息日だよ。
フ: 歴史をひもとけば、コバドンガでのドイツ人選手の勝者は一人しかいないんだ。僕も知り合いだけど、84年のライムント・ディーツェンだけなんだ。アスタ・マニャーナ。
……
ライムント・ディーツェン、ブエルタでは2回続けて二位になっている、ちょっと怖い顔をした選手でした。確か灯りのないトンネルの中で壁に激突して大怪我して引退したはずです。ただ、所属チームがスペインのテカだったので、ブエルタでは毎回上位でしたが、当時のことですから、他国のレースは本気で走ったのかどうか。。。

© 「自転車競技マガジン」1987年7月号
写真はリーダージャージを着るディーツェンです。左にいるのがショーン・ケリー。緑のマイヨなのでポイント賞だと思うと、なんと、当時はこれが山岳賞ジャージでした。無論ケリーが最終的に山岳賞を取れるはずもなく、その後このマイヨは脱ぐことになります。右後ろはこの年優勝するルイス・エレラですね。まだブエルタが4月から5月にかけて行われていた頃、リーダーマイヨも金色と称していたレモンイエローです。
伝説の山コバドンガは、ブエルタでは1983年に初登場すると、2014年までの32年で19回コースになってますが、それ以上に優勝者の名前が、マリノ・レハレッタとか、ペドロ・デルガドとか、ロバート・ミラー、ルイス・エレラ、アルバロ・ピノ、オリベイロ・リンコンとか、ジャラベールやヒメネスとか、一世を風靡したクライマーたちが次々出てきます(まあ、ジャラベールをクライマーというべきかどうか。。。笑)。ちなみに、前回登場の2014年はプシェミスワフ・ニエミエツと、ちょっと渋めです。

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