今回の犯人が生活保護受給者だったというニュースが出てきた。強制措置入院させられた過去もある。
なんだかあまりにわかりやすい話になってきた。
精神障害を疑われ、生活保護も受けた男が、重度の障害を持つ人たちを殺したのである。今の日本の構図そのままではないか。自分より弱いと思った相手(マイノリティ)をとことん苛めるのが、昨今の日本の風潮だ。それによって、自分は彼らとは違うんだと自己確認したがっているわけなのだろう。
だけど、もっと怖いのは、犯人の優生思想を肯定するような連中が、まだまだたくさんいるということだ。
クールなホンネと称して自分の中にある差別意識を解放してしまう連中。言葉にすれば、それが形を取り始め、いつしか発した本人が、発した言葉に取り込まれてしまう。言葉とはそれぐらい恐ろしいものだと思う。他に賛同する奴がいれば、もう周りは見えない。自分の発した言葉にどんどん呪縛されていく。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出てくるゾシマ長老が、嘘をつくと、その本人が自分の嘘を信じ始めてしまう、というようなことを言うシーンがあったはずだ。同じことだと思う。
だけど、障害というのは固定的なものではない。それぞれの人に個性があるように、障害があってもそれぞれ個性があるし、誰でもそうだけど、できることとできないことがある。非常に問題のある言い方だし、誤解を呼ぶかもしれないけど、あえて言えば、障害者はいなくなった方がいい、なんて口にできる人間は、すでに、それだけで、ある種の障害がある、と言える。
しかし、各種ニュースで、無批判に犯人の主張を流し続けたのに、犯人が安倍に伝えてくれ、と繰り返し言っているところは、ほとんど省略されている、そんな気がしてならない。
ここはとても大切なところだと思うんだが。犯人は安倍にすがったんだよ。安倍ならわかってくれると思ったんだよ。
無論犯人の勝手な思い込みだし、数日前に書いたように、安倍がそんなもの理解するはずはないのはわかりきっている。だけど、彼にとっては安倍にすがれば無罪になると思ったんだよ。
つまり、現在の弱肉強食、自分にとって都合の悪いものは全ていなくなってしまえという風潮を、安倍の姿勢は助長しているんだろうと思う。今回のことだって、海外のテロがあれば何度も繰り返した、得意の「絶対に許されません」「断固として立ち向かう所存であります」を、もっと強調しないのは何故なんだろう?
安倍的な社会、それが今の日本だと思うし、この社会が今回の事件を起こしたのだと思う。誤解しないでほしいが、安部が諸悪の根源だと言っているのではない。安部が一種の象徴なんだと言っているのである。

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