何度も書いてきたが、僕には全盲の長女とダウン症の次女がいる。いうまでもなく、今回の事件に対して、言いようのない怒りと不快感と、そしてかなり深刻な不安を感じている。
同時に、犯人がいわゆるネトウヨと総称される人たちの一人だったのではないか、という情報も流れてきた。このつながりは、ものすごく納得できる。外国人差別、生活保護者差別が行き着く先は障害者差別だろうというのは、普通に連想できるものだからだ。
これまた拙ブログで何度も書いたナチスの場合は、拙ブログでも何度か紹介した障害者安楽死計画(障害者差別)とユダヤ人絶滅計画(人種差別)が密接につながっていたのだから、犯人が本当にネトウヨ的人物だったとすれば、このつながりはわかりやすいだろう。
犯人はBeautifullニッポンとかなんとかツィートしたそうだ。「美しい国日本」って誰かの標語だったね 苦笑) ナチスが目指したのも清潔な国ドイツだった。障害者も外国人も同性愛者も共産党員も社会民主党員もいない、飲酒も喫煙もしない金髪碧眼の偉丈夫だけの国が理想だった。
今、都知事選に立候補者の中にも、朝鮮人学校の前でヘイトスピーチをしたことで裁判に負けて賠償金を支払わなければならなくなっている人物がいるが、彼のヘイトスピーチには障害者ヘイトも含まれていた。
今回の事件だって犯人を英雄視するような連中が出てこないとも限らない。いや、その下地はすでにこの社会に出来上がっているのだと思う。
僕がこのブログを始めて6年、この間に(日本に限らず)社会は確実に不寛容度を高めている。ネトウヨだけではない。みんなが分かりやすいものに飛びつき、◯か×をつけて、×となったら、徹底的にバッシングする。そこには、自分は正しいのだという信仰に近い不寛容さがあるように思われる。自分は正しい(=みんなと同じだ)と思い込んだら、正しくない異物は排除しなければならないと、徹底的に叩き潰そうとする(その最たるものが死刑制度だと思っているが、
これについては前に書いたからやめる)。しかも、それを制止させ、◯と×だけじゃない、その間には無限のグラデーションがあるんだ、と気づかせてくれる役割を担っているはずのマスコミが、◯と×の価値観を煽っている。
障害児の生まれる可能性は、通常考えられているよりずっと高い。よく言われるように、障害があるということは不幸ではないけど、不便であるのは間違いない。だけど、いうまでもないが、人は歳をとればみんな障害を抱えることになるのである。今回の事件が、今の社会の風潮を改めるきっかけになってくれなければ、亡くなった人たちは浮かばれない。
…
ネトウヨという言葉を僕は蔑称として使っているわけではない。差別的な意識を持つことを恥じず、物事をわかりやすく考え、自分のわかる範囲で理解できたことで、それ以上のレベルまで考えようとせず、決めつける、という属性を持つタイプの人たちをそう呼んでいるだけのことである。 ただ、これはある意味で誰にでもその片鱗が見られるものかもしれないが、要はそれを自覚して、自分を恥じるかどうかであると思う。

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