森達也のドキュメンタリーで、例の偽ベートーベンと言われた佐村河内守に密着した映画。見ながら思ったのは、拙ブログでも何度か書いたクレヨンしんちゃんのとうちゃんのセリフ。
「正義の反対は別の正義だ!」舛添騒動の真っ只中、マスコミというものがどういうダイナミズムで動いているかがよくわかる。
このドキュメンタリーの中でもフジTVの番組責任者たちが4人も佐村河内を訪ねてきて、年末のバラエティー特番に出て欲しい、絶対に笑い者したりしない、真面目に番組作りをする、と確約したのに、結局佐村河内が出ないことになると、文字通り笑い者にして面白ろおかしいバカ番組を作る。
映像そのものは、佐村河内夫妻(このドキュメンタリーのテーマが、そもそも「社会の敵」になってしまったこの夫婦愛の話なのかもしれない)が飼っている猫がいい味出している。上の責任者たちが、おそらく心から「佐村河内の将来のため」に誠実に、編集などしないで佐村河内の言葉をそのまま放映すると強調している言葉に、猫の顔のアップが重なる。その瞬間、会場は笑い声で満ちる。ただ、この心理にも、こやつらフジテレビの番組責任者を笑い者にしてやる、という心情が働いているのかもしれないけど。。。ただ、このテレビマンたちの気持ちに嘘はなかったんだろうと思う。それでもああいう番組になってしまうことの恐ろしさ。
何れにしてもあの大騒動の時に、マスコミは裏付けも取らずに、謝罪会見などでは彼の耳の障害を笑い者にした(これについては別の聴覚障害者も登場して怒りをあらわにする)。
その後も小保方さんにしても、野々村議員にしても、アイドルの不倫にしても、そして、今まさにたけなわの舛添にしても、マスコミによる袋叩きの物凄さ。これを気持ち悪い、何か胡散臭いと思わない方がおかしい、というのは、特に
舛添関係ですでに拙ブログでは書いた。そして変なコメンテーターに絡まれた 笑)マスコミも市場原理の中、売れるもの、面白がられるものを作りたいと必死になる、彼らには信念も思想もない、出演者への思いなど関係ない、という森の言葉は、マスコミに対する批判ではなく、むしろマスコミを信じすぎる僕らに対する批判なんだろう。
さて、これネタバレしちゃいけないんだろうなぁ。
でも、やっぱり書いてしまおう。アメリカの雑誌の取材で、あなたが作曲したメロディーの証拠はないのか、と問われて、佐村河内は答えられない。そのあと、森が唐突に、僕はこのドキュメンタリーが終わるまでタバコをやめる、だから、あなたも作曲しましょう。音楽が好きなんでしょう?頭の中に音楽がたくさん鳴っていて出口を求めているんでしょう?と言いだす。すると、次のシーンでは佐村河内がシンセサイザーを購入して作曲を始めている。
結局一つの曲が出来上がる。例のHIROSHIMAに似た雰囲気の壮大な映画音楽のような、なかなか良い曲が出来上がる。その曲が流れ続ける最終シーンはかなり感動的。なあんだ、楽譜なんか読めなくても、作曲ってできるんだ。そして、森達也は、最後の一言で、ここまで作り上げてきたものをひっくり返す。でも、僕は、最後の「絶対秘密」のこのシーン、森の本をたくさん読んできたので、まあ、驚きではなかったね。
最後につけたしておくと、佐村河内とゴーストライターの新垣氏の間で、交響曲「HIROSHIMA」の著作権に関しては佐村河内の元にあることでは争いがないんだそうだ。
次は、本作の中で、インタビューを拒否した新垣氏(本人はやりたそうだったけど、所属事務所が拒否したそうだ)に密着したドキュメンタリーだな、と思って、帰りにパンフを買って電車の中で読みながら帰ってきたら、なんと!!友川カズキが同じことをコメントしていて、びっくりするとともに、とても嬉しくなった。
絶対に面白い。ただし、佐村河内が白か黒かを期待したり、新たなレッテルを貼ったりするために見るのは不純である。この映画を見る意義は、今の日本社会の堕落度を知るためである。ぜひ心ある人には見て欲しいと思った。
ちなみに、金曜4時からの回で、渋谷のユーロスペースは7割がた埋まっていた。こんな地味なドキュメンタリーなのに。。。しかもかなり若い人が多かったのが本当に嬉しかった。
佐村河内事件当時、これについて触れた拙ブログの記事はこちら。少し胸を張って紹介します。
音楽に付随する物語に感動してはいけない?
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