辺見庸の「もう戦争がはじまっている」にこんな文章がある。
「テクノロジーはまえへまえへ、未来へ未来へと爆走し、政治はうしろへうしろへ、古代へ古代へとしきりに逆走する。(。。。)可逆的な政治が不可逆的なテクノロジーを支配したら一体どうなるのか。実際、支配したらどうなるか、どころではないのだ。逆走する政治はすでに前進するテクノロジーを掌中にしている。極めて野蛮な世界が核を手にしているのだ。」(p.195)
そうしたら、今朝の東京新聞にノーベル賞受賞者の益川敏英氏のインタビューが載っていて、同じようなことを科学者の立場から言っていた。原爆開発のマンハッタン計画に参加した科学者たちはナイーブで、自分たちが作ったのだから政治家も言うこときくと思っていたのに、政府にとってこんな便利なものを一度手に入れたら手放すはずはなく、科学者たちの反対など無視して、政府は対日本という意味では無意味な原爆を、ソ連に対して誇示するために落とした。そんなことを益川氏は語っていた。
人類は137億年前の宇宙創世の時すら解明しようとしているというのに、戦争や飢餓はなくならず、核保有国の権力者たちは一度手にした核兵器を手放そうとしない。安倍などは日本国憲法は核兵器を所持することを否定していない、なんて言っているぐらいだ。
辺見が言うように、科学が進む一方で政治がますます愚かになっているとしたら、そして、そんな愚かになっている政治が一度手にした技術を手放すことはないとしたら、人類のお先は真っ暗だろう。
不寛容が世界を覆いつつある。オーストリアの大統領選挙はかろうじて不寛容を寛容が抑えたが、その差は1%もなかった。それでも、かつてヒトラーが生まれた国オーストリアに住む人々の良識を、不寛容の権化のような安部を支持する人間が半数以上いるニッポンに住む者として、羨ましく思う。

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