まだまだ興奮さめやらぬアンコウです。友川カズキの曲はどれも凄い。昨日は安易に聴くな。泣くぞ!と書いたんですが、あれは逆ですね。訂正しましょう。「無残の美」や「2010・夏・オガ」を聴いて泣かなかったら聴き方が安易なんですよ。聴く姿勢がなってない! 笑)
もちろん梶井基次郎の「檸檬」に触発された曲だろう。「檸檬」は有名だし短編だから読んだことのある人も多いと思う。肺病と憂鬱に苛まれた「私」が現実をねじまげて妄想しようと街を歩き回り、檸檬を京都の丸善の画集売り場の画集を積み重ねた上に置いたまま出てきて、あれは爆弾なのだ、数分後には丸善は吹っ飛ぶのだと夢想する、という話。
高校時代に読んだときはまるで理解出来なかったし、どこが面白いのかと思った。当時、ああいう憂鬱の意味が分かっていなかった。一緒に載っていた「桜の木の下には」のほうが衝撃的で高校生には分かりやすかった。
レモンの爆弾 干涸らびてそこにある
紡錘形の光 いまいずこ
今日も丸善は なにごともない
言の葉を弄んだ罪と
言の葉に弄ばれた罰と
レモンの爆弾 石くれと化してそこにある
カリフの庭の残照 いまいずこ
今日も丸善は なにごともない
言の葉を弄んだ罪と
言の葉に弄ばれた罰と
レモンの爆弾 年古りてなおそこにある
イエローの夢 いまいずこ
今日も丸善は なにごともない
言の葉を弄んだ罪と
言の葉に弄ばれた罰と
(歌詞はアンコウが聴き取ったものですので、違うかもしれません)
なんともメロディーも歌い方も切迫感があって、得体の知れぬ憂鬱というやつに苦しんでいる雰囲気がよく出ているような気がする。そしてリフレインが檸檬を爆弾だと夢想する鬱屈、言葉による現実のねじ曲げを「弄ぶ」という言葉で語る。でもきっとこのリフレインは友川カズキが自分自身にも向けて投げつけているのかもしれない。
それにしてもこのリフレインの歌いっぷりはどうだ! ノンビブラートの不安定な音程が不安を煽り、微妙な揺れが悲壮感を高める。あまりに奇矯で突飛な比喩かもしれないけど、僕はとっさにクリストフ・プレガルディエンという高名なテノール歌手の「ツーレの王」のノンビブラートの歌い方を連想した。むろん絶叫調の友川カズキと冷静で物寂しげなプレガルディエンではずいぶん違うんだけど。

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