「どんなに強力な人物であっても、時代の希望と願望の全般的趨勢に逆行する感情と理念を、同時代人たちに共有させることは困難である。」
トクヴィルという人の台詞だが、ゴールドハーゲンという研究者の「ふつうのドイツ人とホロコースト」という分厚い本を図書館でパラパラ見ていたらエピグラムとして引用されていた。
ぼくがここで何を書いても時代の流れにブレーキをかけることなどできない。無関心な人々に関心を持ってもらいたいと思っても、無理なものはムリなのだ。そういうわけで、転げ落ちていく、この国は。それはもう留めようがないんだろう。
この流れは、このところ常軌を逸したような答弁ばかりの安倍がやめても元に戻ることはないだろう(答弁を見ていると、本当にこの人はちょっと壊れているような気がする。あれだけすぐに本気でキレる総理大臣って過去にいなかった。本当にものすごくあぶないものを感じる)。
さて、高市某が言ったマスコミが政治的な公平性を欠いたら放送禁止にするという言葉。公平性ってなに? だれが公平かどうかを判断するのかと思ったら、大臣の裁量で公平かそうでないかは決められるらしい。
国民主権というものを目のカタキにする権力者たちの本音がここまであからさまに出ている政権は戦後の日本にはなかった。
だけど、もし万が一このような放送禁止が可能になるようなことになれば、これは自民党の政権が終わっても、新たに権力を握った者たちは絶対に手放さないだろう。時の大臣の裁量によって放送が政治的公平性を欠いているといって放送禁止にできるなんて、権力者にとっては夢のような話である。権力者の意に沿わないことを放送したら公平性が欠けているといって放送禁止。すばらしいね。拙ブログでは最初の頃から書いてきたことだけど、権力者にとって理想の国家はきっと北朝鮮みたいな国なんだろう。
繰り返すが、これは安倍と自民党だけの話では無い。
もし人類が滅びず、100年後、200年後まで存続しているとしたら、この時代を振り返ったとき人々はどう思うだろう?

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