このブログをはじめた頃はあまり興味がなかったんだけど、日本がこんな時代になり、ちょっとヒトラー時代のドイツに関心を持ったら、当然収容所のことやそれにかかわった人々の本などを読むようになって、
拙ブログでも何度もその手の映画や本については紹介してきた。その関連で凄いと評判の、この映画を見てきたわけだけど。。。
美しいもの、楽しいもの、心地よいもの、いずれにしても楽とか美とか快とかいう言葉がつくもの以外見たくないというのなら、見てはいけない。また、ハラハラドキドキしたいとか臨場感を感じたいとか、怖いものグロいもの見たさなら、見事に肩すかしを食らう。
リアリティのある収容所を描いた劇映画として思い出すのは「アーメン」とか
「善き人」(この映画の最後の長大なワンカットの収容所のシーンの何と凄いこと!)なんかがあるけど、タイプが全く違う。むしろ「ショア」のようなドキュメンタリーと比べるべきかもしれない。「ショア」でもインタビューと現在の風景だけで、当時の映像や写真は全く出てこなかった。ただインタビューの話から想像するだけだった。
この映画はサウルの顔を正面から写すか、あるいは後ろから写すシーンが、たぶん8割以上を占めていて、後ろで行われている酸鼻を極めたシーンはほとんどピントがあっておらずボケている。音響は後ろから人の話し声や物音が聞こえてきて、周囲で何が行われているかが、これまた想像出来るだけ。
しかし、最初のシャワー室へ全裸の男女を追い込み、扉が閉まった後の阿鼻叫喚の音響効果はすさまじく、うーん、これは大変なものを見始めてしまったと思ったが、そのとおりだった。
よく知られるようになったが収容所は囚人のなかからカポと呼ばれる責任者を選び、さらにそのもとにゾンダーコマンド(以前書いた「ショア」でも証言者の何人かはこのゾンダーコマンドとして生き延びることができたと証言している)という中間管理役の囚人がいて、新しく到着したユダヤ人たちのうち処分される人たちをシャワー室へ誘導して、処理する役割を担っていた。サウルはそうした一人で、死んだ少年を自分の息子だと信じてユダヤ教の儀式に則って葬儀を挙げたいと収容所内をユダヤ教の聖職者ラビを求めて走り回る。同時進行で武器や火薬を集めて蜂起しようとする囚人たちがいて、最後はこの二つが合流する。
映画の画面の外で起きていることを意識させる作り方の映画はこれまでもたくさんあった。ちょっと思い出しただけでも、タルコフスキーやロベール・ブレッソンの映画にはそんなのたくさんある。ただ、ここまで徹底している映画はあったんだろうか。しかも画面の中も後ろで起きているシーンはボケボケ。そういう意味ではたぶんものすごく革新的なことを初めてやったのかもしれない。ただ、途中からはちょっと欲求不満気味にもなった。まず収容所内の全体像がよくわからない。サウルが行く収容所の各棟(そこには女性ばかりの棟があって、そこからサウルは連絡係として爆薬を受け取る。だけどあれって食事を作っている?それとも話に聞く慰安所?)も、どういう位置関係かは全く分からないし、蜂起したときに収容所を脱走するのだけど、その経緯もわからない。なにしろ視野が狭くて、そういう意味で欲求不満気味と書いたわけ。
暗く不潔で狭い収容所の室内や埃っぽい室外のシーンばかりなんだけど、時々収容所の外のシーンが出てきて(例えば焼却した死者たちの灰を川に捨てに行く)、周囲の森や木々の緑がなんと新鮮なことか。
少年の死体をかかえて収容所から逃げるサウルは結局渡河の途中で死体を流してしまう。だけど最後に幻想のように突然現れたポーランド人の少年を見て、ここで初めてサウルが笑う。なにしろずっと無表情だっただけに、この最後の笑顔とその後に起こることを見て、なんとなく
「ルシアンの青春」を思い出した。少年は月並みだけど未来を暗示しているんだろう。死んだ少年をきちんと弔うことは未来を大切にすることなんだろう。画面が暗くなってエンドロールが流れる間もただただ雨音だけが続く。
繰り返すけど、心地よいものだけに囲まれていたいなら、決して見てはいけない。
----追記
見に行ったのは1月29日の土曜日の2時からの回でしたが満席でした。
---追記の追記
ありゃー、土曜日は29日じゃなくて30日でした。訂正します。

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