1925年に生まれた著者の父親からの聞き取りによるドキュメンタリー。アマゾンのレビューでは2015年10月28日現在、19人中17人が星5つだが、僕も星5つだ。小熊の父は1944年に徴兵され満州に送られて、敗戦によりシベリアに抑留される。約1割の死亡率をくぐり抜けて、敗戦後3年目に帰国した後も、職を転々としたあげく結核になって20代後半の5年を療養所で過ごす。そこを出た後、結婚、高度経済成長の波に乗ってそこそこの成功を収めたあと市民運動に関わる。この人生をその時代の日本の社会の出来事と対比しながら描いたもの。
自分のことに引きつけて恐縮だけど、私の父は1928年生まれ。際どい差で戦争には行かなかったし、当然シベリア抑留など経験していない。また地方出身者ではなく東京の出身で、戦後は大学を出てサラリーマンを定年まで勤めた。だからその点で小熊の父親のような波瀾万丈な人生とは比べられないぐらい平凡な生活だったと言えるのかもしれない。だけど、読みながら、この時代、父は何をしていたんだろうとか、断片的に聞いた戦時中の話などを思い出しながら、とてもリアリティを持って読めた。
そして僕は著者の小熊英二より6歳ほど年上。だから後半に描かれていることの多くで、当時の自分を思い出した。
すごい記憶力であると思う。そして語られたことを調べて、裏付け確認がされている。そしてなにより、ここで引用される小熊の父の言葉が含蓄がある。たとえばこういう言葉。
「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p.211)
また、日本という国の酷薄さにもあらためて腹が立った。終戦前に天皇の命令で作られた和平交渉に関する文書では、すでに満州在留の軍人・軍属を「賠償」の一部としてソ連に労務提供すると決められていたのである。つまりシベリア抑留はある意味で当時の日本がスターリンに対して、これで許してくださいと国民を差し出した、ということなのである。そして戦後はそれをほっかむりして「ソ連はけしからん!」と非難した。なんということ! 沖縄もそうだが、この国は国民を捨てるのである。それは戦争中だけではなく戦後になっても同じだった。これはしっかりと意識しておかなければならない。国を愛しても、国のほうは国民(庶民)をはたしてどれだけ大事に思っているか。。。逆に言えば、それだからこそ、昨今権力者の側から愛国心を強要しようとする動きが出てくるのだろう。
小熊の父はこう言う。
「官僚や高級軍人は、戦争に負けても、講和条約の後には恩給が出た。しかし庶民は、働けるときに蓄えた貯金も、すべて戦後のインフレでなくなった。ばかな戦争を始めて多くの人を死なせ、父や祖父母をこんなひどい生活に追い込んだ連中は、責任をとるべきだと思った。」(p.182)
たぶん僕と同世代の人なら、絶対に面白く読めるはず。そして、僕も父から昔の話を聞いておきたいと強く感じたし、今度実家に行ったときには、すっかり耳が悪くなった父だが、少し昔のことを聞き出してみようと思っている。

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