なんでこの題名??って思いつつも、渋谷の Bunkamura 今日が最終日というので5時半からの最終回を見に行ってきました。この監督と主演の二人は「東ベルリンから来た女」が結構良い映画だったので、かなり期待していきました。さて、結論から言うと、ちょっとムリだろう、という話ではあります。
アウシュビッツで顔に大けがを負って戻ってきた妻が、昔の顔に戻してもらって夫に会う。ところが夫は妻だと気が付かない。妻は収容所で死んだものだと信じ込んでいて、彼女を妻に似た女だと思い、妻の遺産を相続するために、あろうことか、妻の振りをしてくれと頼む。
ところが夫以外の人間は彼女を見るとみんなすぐに彼女だとわかる。分からないのは夫だけ。きっとなにかわけがある。夫は気が付かない振りをしているのではないか、あるいは記憶喪失に陥っているのではないか、と、見ながら常になにが理由なのだろうと考え続けながら見ることになる。なにしろ前作の「東ベルリンから来た女」では善良な医者の役をやった、ちょっと旧東独の砲丸投げ選手みたいな体格だけど、顔立ちはちょっとハインリヒ・ハウスラーを思わせる絶対善良!っていう感じのロナルト・ツェアフェルトが夫役だったからね。だからすっかり欺されたぜ。
だから、最後の「スピーク・ロウ」を歌うシーンのために、これだけのムリをしてきたんだろうか、と思いつつも、でも最後のシーンがなんとも凄い。主人公のニーナ・ホスの、それまでの夫に対する愛で周りが見えなくなっているような感じだったのが(途中、自分のことに気が付かない夫にそこまで合わせるか!と突っ込みたくなる)、ようやく、フンっ、と言わんばかりに立ち去っていく清々しさ。その最後のシーンがピントの合わないぼやけた風景で、きっとここにピントのあった夫の顔が入ってくるに違いない、とおもったんだけど、それも見事にすかされた 笑)
ただ、主人公の女の傷はよくわかるし、それに感情移入できる。なんだけど、夫のほうの気持ちが分からない。結局最後まで分からないままだった。最後のピアノを弾くのをやめた夫の顔をどう考えるのがいいだろうね。それはもちろん、いうまでもなく、それぞれ見た人が考えれば良いんだろうけど、でもなんか宙ぶらりんな感じで突き放されたような気分になった。ただし、それは不快ではないのは言うまでもない。
-----10/10、21:45
今日も一日仕事の合間に思い出していました。あの夫は妻を裏切ったという妻の親友の言葉が本当だったのだろうと思います。結局彼はその負い目に向き合えず、妻は死んだと頑なに思いこみ、彼女が本当の妻である可能性を全く思いつきもしなかったのでしょう。最後のピアノを弾くのをやめたあの顔は、自分の過去と向き合った瞬間の恐れとおののきの表情だったのではないか、そんなふうに考えましたが、また考えが変わるかもしれません。
-----10/11、22:50
最後のシーン、YouTubeにアップされてますが埋め込み禁止ですね。リンクしておきます。
Speak Low performed by Nina Hoss @ Phoenix (ending) 最初に書いたエントリーでは最後のニーナ・ホスを「清々しい」と書いたんですが、いや、やっぱり見直せば、痛々しい。夫のツェアフェルトの表情もなんとも言いようがない痛ましさです。

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