今日のステージ、例年この地方を走るとそうなんですが、戦争で死んだ兵士たちの墓地が次々とあらわれます。先ほどはアフリカ人兵士の墓が映っていましたが、なんでアフリカ人がこんな北ヨーロッパくんだりで死ななければならなかったのでしょう。むろんフランスの植民地だったので徴兵されたわけですが、アメリカの植民地化しているどこかの国、大丈夫でしょうかね。
さて、やっと更新されました。
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アップデートが遅れたことをお詫びする。詳しく言えば、昨夜のスタッフ全員とのポロネーズ付きのお祝いの後、今日のための回復マッサージのほうが、パソコンの前に座るより、私にとっては大切だったのだ。これだけ激しく戦い取ったマイヨをすぐに再び失いたくはない。これを奪い取るのにはずいぶん時間がかかったのだ。しかし、この数日の劇的な展開はなかなか緊迫感があったと思うが、どうだろうか?
昨日のステージは、それだけですでにかなり劇的なものだった。決定的な石畳の前で、私は後輪のトラブルに見舞われた。ここでパンクするのは考えられる限りで最悪のシチュエーションだった。近くにサポートカーがいなかったので、マッテオ・トレンティンの自転車を受け取ったのだが、サイズは私には合っていなかった。サドルは高過ぎだったし、ポジションも違っていた。そこでポジティブに考えることにして、自分に言い聞かせた、TTバイクならもっとサドルが高いじゃないか、と。私はサドルの前のほうに座って、出来るだけペダルを丸く回そうとした。そしてまた、ブレーキにも意識を集中しなければならなかった。というのは、私の自転車とブレーキが逆だったのだ。私は左を後輪、右を前輪のブレーキにセットしている。マッテオはノーマルなタイプだ。そういうことで、私はブレーキングが強いので、ハンドルの上におおいかぶさらないように、発想を変えた。それでゴールした後に止まったとき、変なふうに見えたと思う。いずれにしても、この後、こんなふうに勝てるとは思わなかった。
再び走り出したとき、スティビ【=スティバル】が、私がどんな具合か、アタックする気かと尋ねてきた。しかし私は、全く駄目だ、自分の自転車じゃないし、タイムを失わなくて良かったと答えた。しかしその後、私はまた回復して、考えたのだ、このままゴールまで行ったのでは、私は2位のままでイエローは手に入らない。そこで私はうまくいけばいいが、と願いながら、典型的な --- しばしば無意味な --- トニー・マルティン・アクションを行ったのである。後は何とかなるだろう、と。このときは無論うまくいくとは思っていなかった。
私は大変幸福である。わたしのチームに感謝したい。よりにもよってここで勝てるとは、素晴らしい成功であるとともに、チームにとっても偉大な一日だった。昨日ステージスタート前に電話で走るコツを教えてくれ、ゴールではわざわざ祝福に来てくれたたトム・ボーネン(今回は出場していないが)にも感謝したい。
ひょっとしたら、今は私はパリ〜ルーベの優勝候補の一人かも知れない。これは無論冗談だが、しかしチーム内では出場選手に選ばれるかも知れない。
今はこのマイヨを長く守れることを願っている。
皆さんのたくさんのお祝いにも感謝する。
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レギュレーションがどんどん変わるんですけど、戦前には観客の自転車を借りて、そのまま優勝したなんていうこともありますね。だけど、それが禁じられた時期もあったみたいです。そういう意味では今年のボーナスタイムなんかもそうですけど、年によってルールに微妙な変更があります。

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