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http://www.johndegenkolb.de/de/表彰後のプレスインタビューでも、石のトロフィーどこへ置こうと気にし、フェイスブックでもトランクに詰めて帰国した石トロフィーを持って階段を上る写真をアップと、だいぶ気に入ったようです 笑)
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この二つはよく合っていない? 石と女神だよ。二つのモニュメントのトロフィーさ。
でも、ホントに、この石を僕の住まいまで124段の階段を上って持っていくのも素晴らしいことだったよ。こやつ、見た目よりずっと重いんだ。下にいるときに、誰がこれを住まいまで運ぶんだ、って聞いたぐらいだよ。でも僕のオヤジがすぐに、もちろんそれを上へ持っていく責任がある奴に決まってるだろう、って応えてくれた。
今の僕の気持ちを表現するのは難しい。この勝利はとてもうれしい。いつの日にかこのレースに勝つことが、常に僕の目標だったからね。この夢を実現させるために、これまでたくさんのトレーニングをして、力と時間を費やし生活を律してきたんだ。そしていまそれが実現した。信じられないことだよ。そして再びドイツ人がこのレースに勝つことができるようになるまでにこれだけ時間がかかったことも信じられない。今はぼくの名前が歴史に残るんだ。
そして、ここ数日で聞かされたんだけど、ミラノ~サンレモとコンビで勝ったというのもなにかものすごく特別なことなんだ。
さまざまな印象が、今はもちろんまだとてもフレッシュだけど、なにかいつもといろいろ違うんだ。いつもなら、こういうハードなレースが終わって家に帰ると、全てはそれで片が付いて、よく眠れるんだ。でも今はぼくはたぶん2時間しかねていない。目を閉じると、このレースが映画のように目の前を流れていくんだ。そうして再び僕はまた決定的な状況の真っ只中にいて、自転車に乗っていて、アタックに反応しなければならないかのように、アドレナリンが噴出するんだよ。でも、それで僕が楽しんでいないなんて考えないで欲しい。全く逆だよ。
なにより、僕はミラノ~サンレモでの勝利の後、緊張をとぎらせなかったのがうれしいね。しかしこのメンタルな強さが僕の持ち味なのかも知れない。これをこの先も続けて行かなくちゃね。休むわけにはいかないよ。僕の問題は、今はもうこんな凄いレースに二つも勝っちゃって、あとは悪くなるしかないってことだよ。
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ミラノ~サンレモとパリ~ルーベの両方を勝ったのは3人目ですね。前の二人は1908年のシリル・ファン・ハオヴァールトという選手と86年のショーン・ケリー。メルクスもやってませんでした。(86年のパリ〜ルーベは我が家にビデオがあります。強い雨ではないけどドロドロのレースで、宇都宮で世界チャンプになるダーネンスが2位になったんでした。また、ルーベのベロドロームが改修中で、ゴールが道路上でした。)
しかし強かったですね。ただ、最後残り3キロぐらいでスティバルが追いついた後、エティックスとしてはランパールトのアタックがもっとキレがあれば、さらにランパールトがデーゲンコルプに追いつかれたとき、即座にスティバルがアタックしたらどうだったのか。。。でも、ファン・アーフェルマートがいたからなぁ。。。でも、ランパールトはアタック失敗した後、ベロドロームまで先頭を引きっぱなしでしたが、エティックスとしてはあれで良かったのかなぁ?? いずれにしても、スティバルはアタックしたくてもできなかったと言っているので、追いつくのがちょっと遅すぎたということでしょうかね。
しかし、今回はスティバル、フランドルではテルプストラ、ヘント~ヴェフェルヘムでもテルプストラ、E3ハレルベケでもスティバル、オムループ・ヘット・ニウスブラットでもテルプストラと、この二人でフランドル地方の春先のレース2位を荒稼ぎです。そういえば今回も二人いたのに勝てませんでしたねぇ。今年のエティックス、こんなのばかり。
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