ヘントのカタキをクールネでカヴェンディッシュのスプリントで晴らしたエティックス・クイックステップでした。一時ちょっと陰りが見えたかと思ったカヴですが、その話はまたにして、今日は東京新聞の記事から。
一面で俳優の宝田明が集団的自衛権について語っている記事で、思わず不安をかきたてられた。満州から命からがら引き上げてきた宝田明がこの法律に反対するのは当たり前だ。ただ、僕が不安になったのは次の文章だった。
「昨年の衆院選の公示翌日、NHKの情報番組に生出演した際、発言をアナウンサーにさえぎられてしまった。戦争は絶対にしてはならず、国家がまちがった選択をしないよう国民は選挙で意思表示すべきだ、と話す途中だった。」
別に左翼でもなんでもない普通の俳優がこういうことを新聞で言わなければならない状況って危機的状況である。事態はここまで来ている。ことは集団的自衛権というものがどうか、という以前の段階で、反論が言えない状況が作られているということなんだ。
だけど、今の社会を覆っているのは、あきれるほどの無関心だ。ちょっと考えれば、今の日本が向かっている方向は間違っているのはわかりきっている。どのぐらい先かは判らないが、未来の日本人が今の時代を振り返ったとき、あの時代の日本人は何を考えていたんだ!と呆れることは間違いないだろう。
こんな無関心がはびこった社会に対して、僕がここでこんなことを書くことに何か意味があるのか(=何を言っても同じなんだから無駄だ)、と思う人もたくさんいるんだろう。だけど、それは違う。社会が変わればいいとは思うが、しかしそれ以上にここにこういうことを書いているのは、未来の人々に対するアリバイ証明の気持ちが、僕にはある。
僕はキリスト者ではないが、旧約聖書で、アダムとイブが蛇にそそのかされて、神から禁じられた智恵の実を食べてしまったあと、神から「アダムよ、おまえはどこにいた?」と問い質される。
僕などもう存在しなくなった時代、神ならぬ未来の人たちに、「アンコウよ、おまえはどこにいた?」と問われたとき、「あのとき私は、自転車レースにかまけつつも、I am not abe ! と叫んでいました」と胸を張って言えるように、こんな趣味の自転車ブログではあっても、言うべきことは言いたいと思っているわけだ。
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