
いやはや、ショックだわ。脳卒中で危険な状態だそうです。古い知り合いまで「てえへんだあ」と教えてくれました。 西洋の自転車レースに興味を持ってすぐ、ミロワールかウィニングかどちらかの雑誌で見て、うーん、格好良い、とたちまちファンになったのでした。NHKで初めてツールを大々的に取り上げた1985年は、世界チャンピオンマイヨを着ていて、それだけでも十分目立ってました。
なにしろ一時期は自転車のヘッドにミロワールから切り抜いたクリケリオンの写真を貼っていたぐらいですからね。当時は情報も2,3日遅れの英字新聞を町の図書館で読むぐらいしかなかったですし、日本語で読める情報と言えば、1,2カ月遅れの「自転車競技マガジン」ぐらい。
以前紹介したように、この選手のおかげでアマ●ダのロードをわざわざブルーに塗り直して黄色い胴抜きを入れて、レタリングステッカーで強引にスプレンドール号を作り、
ヒタチのマイヨを着て、ロジェッリのカスクをかぶって、道端のウィンドウに移る自分の影にうっとりしていたものでした 笑)
登りで苦しいときなど、気分はフレッシュ・ヴァロンヌやツール・ド・フランドルで、一人逃げるクリケリオンでしたっけ。いまだにクリケリオンのでかいポスターが3枚も、納戸と化した私の部屋の壁に貼ってあります。


アルカンシェルのポスターは左上に直筆サインが入ってるんですが、これは87年の昭和公園であったスーパークリテの前夜祭で書いてもらったもので、これについてはこちらをご覧いただけると幸いです。
懐かしのスーパークリテリウム87 サイン会篇 へ
また、LBLのことも書いたことがあります。これもこちらをご覧くださいな。
思い出のリエージュ・バストーニュ・リエージュ へ
さて、物置と化した部屋をごそごそやったら84年の世界戦の時の「自転車競技マガジン」が出てきました。

表紙はやっぱり8連覇した中野浩一で、ロードの方は実に簡素。そういえば、昔は自転車に乗っていると子供たちから、あ、中野浩一だ!ってよく言われたものでしたが、最近は中野?だれ?状態でしょうか?
さて、クリケリオンが 優勝した世界戦、YouTube にアップされてますが、すでにソロで逃げに入っている状態で、あまり面白くないです。
なで肩で膝が少し開き気味のフォーム。当時はショーン・ケリーなんかもそうでしたが、膝が開き気味のフォームの選手って今よりずっと多かったような気がします。そしてなによりクランクの回転数。上半身を上下にゆすって、いかにも重いギアを踏んづけている当時のスタイルがよく出ています。
いずれにしても、回復してくれることを祈りましょう。

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