かなり長いです。ドイツでの自転車競技の人気についてとか、あまり面白くないところはカットしましたが、それでも長いので、よろしくお付き合いください 笑)
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ファビアン・ヴェークマンはプロ生活15年目を迎えます。ゲロルシュタイナー、ミルラム、レオパード・トレック、そしてガーミン・シャープのあと、今シーズンはデンマークのプロコンチームのカルト・エネルギー・プロサイクリングに所属することになりました。彼は3回ドイツナショナルチャンピオンになり、ドイツのクラシックレース、フランクフルト〜エシュボルンで2勝しています。しかし彼にとってはもっとも大きな勝利は別のところにあると言っています。マジョルカ・チャレンジのあと、Pedaleur.net はインタビューして、引退の危機に立たされた去年のひどい落車や、ツール・ド・フランスに対する思いについて、などを話してもらいました。ヴェークマンさん、マジョルカ・チャレンジは新チームカルト・エネルギー・プロサイクリングで走る最初のレースでした。第一印象はいかがでしょう?とても良い感じだしホントに楽しかったよ。去年の11月ルクセンブルクでチームでの会合があってから、最初のチームとしての集合だったからね。でも、これまでのところ一緒に長いトレーニングなんかできなかったのに、ビックリするほどあっという間にチームみんながフィットできた。僕らのチームはホントにすばらしいし、ベテランと新人がうまくかみ合っている。みんなで完璧に作戦を立てて、うまく走れたし、大満足だよ。
カルト・エネルギーはプロコンチームなので、レースの主催者からの招待が頼りです。2015年、あなたはどんなレースに出場したいとお考えでしょうか?なにがなくてもアムステル・ゴールドレースだよ。みんなそれに合わせているし、僕らの大目標だ。もちろんフレッシュ・ヴァロンヌやリエージュ・バストーニュ・リエージュでワイルドカードがもらえたら素晴らしい。だけどなにをおいてもアムステル・ゴールドレースだね。それを狙っているんだ。
しかし、アムステル・ゴールドレースの最初の招待チームには選ばれていませんね。それでもまだ出られると?
うん、僕らはまだ交渉中だし、まだ出られると思っている。
3年間所属したガーミンシャープをシーズン終了とともに去ることになりました。2014年シーズンについて、とくにどのようにお考えでしょう? ガーミンシャープでの最後のシーズンはどうでした?ジロ・ディ・イタリアで落車してひどい目に合ったよ。ほんとにひどい落車だった。でもすぐに「今の僕にとっては、これが【ベッドで回復に努めること?】自転車レースだ」って納得させたんだ。
実際そうだったのでしょうか?あれはそんな小さな落車じゃなくて、長期入院でほとんど動けず、ひどいものだった。だから、シーズンの終わりごろにまたいくつかのレースを走ることができてうれしかったし、その結果にもとても満足だった。落車してから3カ月で、僕は再びトレーニングを開始でき、3カ月半後にはツアー・オブ・アルバータを走って総合13位でゴールした。これでまだ自転車を降りる時じゃないと思った。
状況はあなたにとってずいぶん微妙だったんですね。契約は更新されず、怪我もしていたし、プロとして、この先どうなるのか、眠れない夜を過ごしたのではないですか?落車して、多くの人はきっと、もう彼も34歳だしひどい落車だったしもうモチベーションもなくなったと見ただろうね。もう一度ワールドツアーチームと契約するのはちょっと難しかった。ガーミンのチームマネージャーのジョナサン・ヴォータースは僕にチームに残ってディレクター・スポルティフにならないかと言ってくれた。だから僕には引退するという選択肢もあった。だけど僕にはその気がなかったし、どれほど自転車レースが好きか、どれほど楽しいか、って自分でわかったんだ。たとえ毎日5時間も理学療法のリハビリで苦しまなくてはならないとしても。僕は、たとえ監督という良い申し出があっても、落車が原因で引退したくなかった。
ディレクター・スポルティフ、それはあなたが引退後に願っているものでは?そう、その通りだ。本気でそうなりたいと思っていたし、将来そうなれればと思っている。でも今はまず新しい契約を結んだし、この後何年かさらに成績を上げたいとおもっているんだ。
カルト・エネルギーと契約した一番の理由は?チームマネージャーのミケル・スケルデと会って、僕がどんなレースを走りたいかを伝えたんだ。それが彼の考えとピッタリ一致した。彼とはそれ以前にもレースで一緒だったことがあるし、僕がレースで常にアグレッシブで攻撃的なスタイルだったことを覚えていてくれた。そういうタイプの選手を彼は探していたんだ。それに、彼にとってもアルデンヌ・クラシックは重要で、それに出ることが彼にとっても願いだったし、そこで僕がキャプテンの役割を果たせると考えたんだ。これが一番の理由だ。
チームはあなた以外にもリーヌス・ゲルデマンとグスタフ・エリク・ラーションという名前の知れた選手と契約しました。チームはプロコンで居続けるつもりはない、上を目指すつもりだ。今後何年かで発展していくはずだから楽しみだし、その過程で自分の果たす役割もあると思う。
2015年のシーズンが終わったとき、満足できる結果とはなんでしょう?二つか三つ大きなレースに招待されたらいいね。それ以外にもワールドツァーレースでトップテンの成績を上げられれば、僕らはとっても満足だ。
今後ツール・ド・フランスのようなビッグイベントにはもう参加できないかも知れないと思うと、悲しくはないのですか?もう希望がないというわけじゃないさ。僕は2年の契約だ。そして過去4年間はツールに出場できなかった。むろんチームのなかで、ツールで必要なタイプの選手が選ばれるわけだ。この何年かは単純に僕はそうではなかったということだ。僕は過去7回ツールに参加し、毎回最終週にはひどく苦しんだ。ツールはスーパーレースだし、世界で最大のレースだ。でも僕のお気に入りのレースではない。
あなたにとって自転車競技の魅力とは?なんていっても美しいスポーツだよ。どこででもできるし、自分の自転車をどこへでも持って行ける、どの大陸へでも。そしてそこで走ることができる。それから、僕は非常に戦術的なクラシックレースが好きだ。ただの力だけではなく、頭も使わなくちゃならない。力が劣っていても、クレバーに走れば勝つことができるんだ。
引退後のことは考えていますか?いや考えてないし、まだ決めたくないな。まずはまたレースを走れるのがうれしいし、ホントに楽しいんだよ。他のことは成り行き任せだね。
あなたが自転車競技を始めたきっかけは?兄のクリスチャンと父だ。二人とも自転車競技をしていた。子供の時、それから少年時代、ぼくは陸上をしていた。15歳の時に自転車競技にのりかえたんだ。
あなたのキャリアでもっとも大きな勝利はなんでしょうか?ジロ・ディ・イタリアでの山岳賞とジロ・デ・ロンバルディアでの3位だ。この二つは他のレースで僕があげた勝利よりも大きい。今でもまだ当時、ジロで先頭グループでどれだけ苦しかったかを思い出すんだ。山岳マイヨを着たと思ったらまた失って、最後はホントにぎりぎりだった。故郷のミュンスターから友人たちが最終日に来てくれて、僕はなんとか山岳マイヨを取り返せたんだ。忘れられない経験だよ。
ではあなたのキャリアでもっとも悔しかったのは?デビューした2003年のバスク一周でのあるステージだね。僕はレベッリンのためにスプリントでリードアウトした。そして僕らが1位と2位だと確信してすでに喜んで叫んだんだ。ところが、当時まだ無名だったアレハンドロ・バルベルデが僕らを追い抜いていったんだ。
最後の質問です。もしもう一つ勝利をあげることができるとしたら、どのレースに勝ちたいですか?これはもう考えるまでもない。アムステル・ゴールドレースだね、一番好きなレースだからね。
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というわけで、アムステル・ゴールドレース、ただ、まだ出られるかどうかわからないんですよねぇ。。。

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