以前にもちょっとだけ紹介したけど、もう一度この本のことを書く。憲法に関心があるなら、いや、現代の日本人なら絶対に読んでおくべき本だと思う。著者の小林節は改憲派で、とくに9条を変えるべしと主張している人。一方の伊藤真のほうは護憲派だけど、この人の他の本では確か、自分は憲法に指一本触れるべきではないなどと言うつもりはない、っていうようなことを書いていたように記憶している。
この改憲派と護憲派の二人が自民党憲法改正案を完全否定することで一致する。その小気味よさに快感すら感じる。伊藤が言うように、この草案を作成した人たちは「けっして、この国をだめにしようとか、悪い国にしようと思っているわけではない」だろうけど、「ただ、自分たちが考えるところのいい国を作りたい、それに対して邪魔になる者は排除するんだ、国民をそれに従わせるんだ、という感じがすごくする」のである。
「民主主義というより、エリート支配。ところが、実はエリートでもなんでもない人たちが、自分たちがエリートだと思い込んで、自分たちが上手くやるから黙っていろと言っている」なんていう指摘は、憲法だけじゃない、すでに今の日本がそういう国になっているのは、安倍が首相になってからの秘密保護法や集団的自衛権や原発のことを思い浮かべれば、明らかだ。つまり、安倍らはすでにもうやりたいようにやり始めていて、憲法を変えて自分たちがやりたいようにやるお墨付きが欲しいと考えているに過ぎない。
人によっては、自民党の主張を肯定的に見る人もいるかもしれないが、もし仮にそうだとしても、この草案から見えてくる自民党の意図をしっかり意識するべきだろう。
対談の内容は個々の条文について具体的に語ってくれて、とても分かりやすいし、もっと大きく憲法というものの持つ意味や個人の人権を尊重することや立憲主義というのが、どういう前提の上で考えられているのかもよくわかる。伊藤が言うように、憲法はさまざまな法律の親玉なのではなく、矢印の向きが正反対なのだ。法律は国民が従うべきものであり、憲法は国民が国に対して従うように命じるものなのである。
いずれにしても、二人共に共通しているのは、現行の憲法はよい憲法だというのが前提になっていることである。ただ、現行憲法が悪いものだと思っている人っているのだろうか? あえて言えばアメリカに押しつけられたものだという言い方で否定しようとする人たちがいるっていうことだろうけど、そういう人たちだって、
例えば、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という第14条を、「押しつけられたので拒否したい」(想田和弘「熱狂なきファシズム」より)
とは言わないだろう。
それから昨今の「愛国」や「売国」という言葉をもう一度よく考えるためにも、小林の「国家なんていうのは肉体を持たない架空の約束」であり、人間は「ひとりでは生きていけないものだから、国家というサービス機関を道具として」作ったのだという言葉や、伊藤の憲法が縛ろうとしているのは「country(生まれ故郷)ではなく、state とか government(...)人為的に作った権力主体としての国の権力」だという言葉などは非常に説得力がある。
前から言っているように、愛国を唱える人たちの国って何のことなんだろう?憲法についてなにか言いたい人は必ず読むべき本である。

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