このところ、どうも気になっている。吉田清治という人の書いた朝鮮人従軍慰安婦強制連行の告白本が捏造だったからといって、そして朝日新聞がそれを訂正し、謝罪したからと言って、軍による慰安婦の強制連行がすべて「なかった」ことになるのか?
これはあくまでも、組織的に朝鮮人従軍慰安婦を強制連行したという証拠はない、という「だけ」のことではないのか? むろん明確な証拠がないから「強制連行はない」とはならない。逆に言えば、林真澄死刑囚なんて、自白も明確な証拠もないまま死刑判決が確定してしまったじゃないか。
さて、朝鮮半島を別にすれば、軍の関与なんて吉田本以外にもいくらでも証拠がある。ウィキペディアにもでている白馬事件は有名だ。他にもツィッターで知ったのだけど、海軍主計大尉(軍人だ)の中曽根康弘が回顧本で、部下のために南方で「苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と言っているそうだ。大手メディアには載らなかったけど、地方紙には記事も出たらしい。
「中曽根康弘 慰安所」で検索かければいくらでもヒットする。
それどころか、フジサンケイグループの故鹿内信隆が対談本で陸軍経理学校で慰安所の開設の方法を学んだと語っていて、軍の関与を明らかにしているだけでなく、戦後何十年も経っているのに差別意識丸出しのグロテスクなことを言っている。
これも「鹿内信隆 慰安所」で検索すればいくらでも見つかる。
従軍慰安婦の話は、ずいぶん昔に読んだのでうろ覚えだけど帚木蓬生の「軍医たちの黙示録」(これは2冊あるんだけど、そのどちらかは忘れました)にも一つのエピソードとして出ていた。どのように兵士たちが慰安所を利用したかが具体的に書かれていた。この本は医者でもある帚木蓬生が実際に従軍した軍医たちが書いた(書き残した)文章をまとめたもので、いわゆる「作り物」の小説ではない(「作り物」はネガティブな意味ではない。念のため)。ここでは戦争のさまざまな面が見られる。若い人たちには是非読んで欲しいと思う。
さて、話を戻して、明確な証拠はない、というのは役所の公的な文書がないということなんだろうけど、最初に書いたように、文書がないから「なかった」、ではなく、文書がないから「正確なところは分からない」だろう。終戦時にヤバイ文書は処分されたものも多いわけだしね。
だけど、処分されなかったものもある。「初級作戦給養百題」というもので、陸軍の経理将校のための教材だそうだ。そこには明確に慰安所の設置は軍の経理将校が行うべき業務の一つであることが書かれているそうだ。
こちらも「初級作戦給養百題」で検索をかけてもらいたい。
自虐的という言葉もぼくには意味が分からない。過去の日本軍のやった過ちを認めることが何故自虐的なのだろう?
さて、以上書いてきたことは、実は僕はどうでも良いと思っている。軍の関与があったかなかったか、なんて些末なことだ。実際に朝鮮人従軍慰安婦は存在したわけだし、彼女たちの置かれた状況がどんなだったは、おおむね想像が付く。
昨日の「刑事フォイル」の話でも書いたけど、軍人と言ったって普通の人間なんだから嘘もつくし、間違いを犯すし、戦場では人間を虐殺もするけど、普通の人なんだから危機的な状況のなかで立派なことをすることもある。これはそういう悪人もいれば善人もいるという話ではなく、一人の普通の人が、状況によってそういうふうになるということだ。
普通の人が良いことをするし、悪いこともする。これは人間という生き物の大前提だ。で、そういう普通の人である自分たちの父祖が、かつて過ちを犯したと「認める」ことがなぜ自虐的なんだろう? 過ちを犯した日本という国では愛せないのか? 「どこの国にもあった」というのは橋下のセリフだけど、虐殺にせよ暴行にせよ、戦争中はどこの国にもあったよ、もちろんそうだ。問題はその後だよ。どうして、「だから日本だけが悪いわけじゃない」とつながるんだろう? そうじゃなくて、被害者に思いを馳せて、人間がそのような「ひどいことをしなければならないような場」に置かれることがないようにしよう、とつながらなければ、「歴史を学ぶ」意味などないだろう。
世界中に日本の恥をばらまいたのは朝日新聞ではなし、韓国や中国でもない。こんな当たり前の人間観を理解せず、日本人は悪いことはなにもしなかったと強弁する政治家やマスコミである。
-----追記 2014, 9/12, 0:45-----
何カ所か文言を追加しました。

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