昨夜、Livestream で見ていて、終了直後に書いたツール・ド・ポーランドのネルツ、総合9位にジャンプアップでした。ステージ自体は26位だったんですけど、総合では16位から9位へジャンプアップ。トップテンはとても嬉しいですね。ブエルタへの弾みが付くことでしょう。
さて、
Eテレで昨夜放映されていたETV特集は肢体不自由児たちの疎開をめぐる話だった。昭和7年に開校された、当時日本にひとつだけの公立の養護学校光明学園の話だ。
戦争中、東京の学童たちは来るべき米軍の爆撃に備えて、安全な田舎へ集団移住させられ、それを疎開といったことはご存知のとおり。これは将来の戦力となる子どもたちを守るためで、いわば子どもたちの「戦闘配置」と位置づけられ、国から補助金が出たんだそうだ。しかし障害のある学童たちは戦力にならないという理由で、なかなか疎開させてもらえなかった。そのために光明学園の校長松本保平は、校庭に防空壕を作ったり、自ら疎開先を探してかけずり回り、なんとか受け入れ先を見つけて疎開に成功する。疎開して、なんと10日後に学校は空襲で全壊したんだそうだ。
しかし、光明学園を見学に来た普通学校の教員たちは、障害のある子どもたちにこのような立派な施設や設備を使わせることを無駄だと言い放ったそうだ。
戦争というのは、人間をランク付けさせる。国は人間をランク付けする。子どもも含め国民を戦力と考え、戦力になる、ならないでランク付けをする。だが、それは生命を軽んじることだ。重要な命とそうではない命があるということだ。だが、その基準は何か? 国のために敵と名指しされた人間を殺せるかどうかだ。わかりやすく言えば、敵という名の人間を殺せない奴は非国民だったんだ。
ナチスではそれがもっと徹底されて、
T4作戦という障害者を安楽死させる政策にまで発展したことは、以前書いた。もっとも、ナチスの場合、敵を殺せないから無用だという発想ではなく、もっと観念的なものだったんだろうけど。
しかし、だからこそ、国というものがなんなのか、きちんと考えなければならないはずなのに、今の世の中、自分を国と一体化させて、普通の人が国益なんて言葉を口にする。国益って誰の益なんだ?
さて、そんななかで光明学園の校長松本保平(もちろん故人だ)のような立派な人間、善意の人がいたことに、少しホッとする。戦争が人をおかしくする。同時にそういうときに素晴らしい人間がいる。だから記録が残ったんだ。だけど、そうした個人の善意に頼らなければならない社会は、そういう時代は、やっぱりおかしいんだと思う。
----追記 2014年8月12日、23:05
2014年8月16日(土)午前0時(金曜深夜)に再放送されます。ご関心があり、見逃した方はどうぞ。

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