まあ、しょうがなかったですね。前の逃げいなければ、事態はずいぶん変わったでしょうけどね。運はなかったですね。ただ、あのマイペースで登りをこなすTT走りができるなら、グランツールはともかく、一週間程度のステージレースなら今後もちょっと期待しても良いのかもしれません。
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ツール・ド・スイスを最終日に失ったことで、たいへん失望している。一週間ずっと黄色いマイヨを着て走ったのに、それを家に持って帰れないのは辛いことである。わたしのパフォーマンスに喜びを感じ、また誇らしく思えるようになるには、まだ二、三日かかるだろう。ツール・ド・スイスが始まる前に、誰かがわたしは総合4位になると預言したら、わたしは信じなかっただろう。ステージ二勝は可能だろうと思っていた。しかし総合優勝はまったく考えていなかったのだ。
最後から二つ目の山で、コスタとフランクがアタックしたとき、わたしには爆発力が欠けていた。チームのアシストはいなかったので、わたしも即座に反応して差を詰めようとした。その差はたった50から100メートル程度だったのだ。前を行く彼らは全力で走っていたし、わたしも同じだった。わたしたちはいわば互いにニュートラルな状態になっていた。ただし、彼らはローテーションしていたが、わたしは一人だった。
振り返ってみると、差を埋めるためにもっとリミット一杯で走っていたら、おそらくもっと危険なことになっただろうと思う。レースの後から振り返ればいろいろ見えるものだ。いずれにせよ、あのときは追走をやめるべきか、もっと続けるべきか、ずっと迷いながら走っていた。20人を後ろに引き連れて、ほとんど見込みのない闘いを行わなければならないというのはイライラするものだった。他方でわたしはまだ表彰台に登れる【3位以内】かもしれないとも考えていた。また、この後に続く最後の登りのことも考えていた。そして一度リミットを越えてしまえば、完全にノックアウトされてしまう危険性もあった。そういうわけで事態は単純ではなかったのだ
わたしはチームメイトたちを非難するつもりはまったくない。わたしもチームも、よもや総合争いをすることになるとは予期していなかった。だからメンバーもそういう構成にはなっていなかったのだ。ここへはカヴのスプリント列車のテストをしにきたのだ。わたしはカヴやレンショウやボーネンやテルプストラのような名選手たちがわたしのために風よけになってくれたことを本当に誇りに思っている。
今は回復のためにしばし家で過ごし、それからドイツナショナル選手権に向かい、そしてツールに向けて一歩を踏み出したい。
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