この言葉、すでに錦の御旗のように使われている。この言葉が出れば、みんな思考停止してないかい?
なにが言いたいかって、例の「美味しんぼ」の話だ。政府要人たちまでが一介の漫画に目くじら立てて不快感を表すなんて、かなり危ない。政府にとっては、福島が実は危険だということになるのは非常に都合が悪いだろうというのは想像がつく。ただ、政治家たちにも、本当のところは分からないのだろうと思うけど。
だけど、このニュースにコメントを書き込んでいる一般の人たちまでが、非常に感情的なバッシングを繰り広げているのを見ると、僕なんかは、なにか倒錯した気持ちの悪さを感じる。
むろん文字通りの風評被害によって苦しんでいる生産者や住民もいるだろうと思う。だけど、そういう人たちが言う風評被害という言葉と、政治家や原発再稼働に賛成している人たちが言う同じ風評被害という言葉は、その言葉のもつベクトルが全く違うような気がする。つまり、後者はこの言葉を武器として使っているような、嫌な感じがするのだ。
鼻血など誰でも出すし、その原因がなにかなんて、だれにも分かりっこない。放射能だってある専門家は大丈夫といい、ある専門家は危険だという。ネット社会になり、情報が多すぎて、余計になんだかわからなくなっているということはあるし、専門家すら意見が割れているのに、素人に分かるはずはない。
ただ、以前にも書いたし、拙ブログのライトモチーフみたいなものだけど、人は自分の信じたいことを信じるものだ。自分の見たいもの、聞きたいことしか見ないし聞かない。だから、放射能は安全であって欲しいと思う気持ちが、安全だという確信に変わるのは当たり前なんだろう。
だけど、本当のところはどうなのかが分からないまでも、「安全だ」という可能性と、「危険だ」という可能性を天秤にかけたとき、のちのち後悔しないで済むのは後者だろう。これは間違いない。分からないからこそ、避けるべきなのだ。
ぼくは「美味しんぼ」という漫画は絵柄も内容もそれほど好きではないし、あまり読んだこともない。とくに最近10年以上は全く見たこともない。だから、今回の漫画も実は読んでない。そもそも、まだやってたんだ、と思ったぐらいだ。でも、可能性としての疑問を呈した漫画を、みんながこぞってバッシングする姿って、やっぱりおかしいと思うし、なにか嫌なものを感じてならない。

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