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パンターニ10回忌

2014.02.15.22:24

どうやらデーゲンコルプが地中海一周(ツール・メディテラニアン)で3連勝したようですね。TTスペシャリストのトビアス・ルードヴィクソンがカタパルトになったようです。彼のブログが更新されるのを待ちましょう。

昨日(14日)はパンターニの10回忌でした。そんな日に、ツール・メディテラニアンの山岳賞マイヨを取ったのがコロンビアのパンターノ 笑)まあ、それはともかく、各所でパンターニの話題が出ていて、cylingnews.com ではアームストロングの寄稿まで出ています。俺が大工なら奴はアーチストだった、と目一杯の称讃なんでしょう。パンターニもアームストロングもウルリッヒも、もうすでに過去の人で、若い人にとっては歴史の中なのかもしれません。辛口のrsnの記事を参考に、ちょっとパンターニの悲劇を辿ってみましょう。

まずは、パンターニがコカインの過剰摂取で死んだこと。これには薬を売った人物が2005年の裁判で有罪になっていますが、その後(二審で?)減刑されているそうです。理由は、一審ではパンターニの死を悼んだ世論の圧力で、不当な判決だったということのようです。そんなこともあってか、さまざまな憶測がいまだに消えません。

一つは、パンターニは自殺したのだというもの。それを主張する人たちは、遺書らしきものが見つかっていることと、パンターニが鬱状態だったことを理由に挙げています。

パンターニの両親は、息子は殺されたのだ、と主張。パンターニは他のドーパーの名前を開かすつもりで、それを知った者が彼の口をふさいだというわけです。

まあ、一番普通に考えられるのは、パンターニは死ぬつもりなどなかったけど、間違って薬を多量に摂取して死んでしまったというもの。いずれにしても、死因はコカインの過剰摂取であることは間違いないそうです。

パンターニを最初に知ったのは1994年のジロでした。むろんスカパーもなかったから市販のビデオを購入して、何度も繰り返し見ましたね。当時はイタリアの英雄は同じカレラチームのクラウディオ・キアプッチで、パンターニも彼のアシストとして出場したはずですが、山岳ステージで2勝して総合2位になり(キアプッチは5位)、一躍人々の注目の的となったのでした。この二人はよく似ていて、山岳スペシャリストであるとともに、何しろ意表を突くアタックで有名だったんですね。キアプッチの場合は1992年のセストリエールへの単独アタックが有名だし、パンターニはウルリッヒを9分引き離したガリビエのアタックでしょう。ただ、キアプッチの場合はとうとう2位止まりでしたけど。

山岳での強さもさることながら、レース中に車にぶつかって重傷を負ったり、復帰したと思ったら、飛び出した犬に当たったりと、まあ、劇的なキャリアだったことも、人気の秘密だったと思います。で、その劇的なキャリアの最大のものが1999年のジロ。最終日1日前にヘマトクリット値が高すぎて、レース出走停止(この時点ではドーピングではありません)で総合優勝を逃したんですね。

その後、2000年のツールでヴァントゥとクールシュヴェルで優勝するんですが、それが最後の輝きになってしまいました。ヴァントゥはアームストロングがパンターニに勝たせてやったと言って、パンターニが激怒し、その後アタックを繰り返して、ついにはクールシュヴェルで勝つんです。だけど、その後はアタックしすぎで潰れてリタイアするんですね。

この時代の悲劇のスター選手は、みんな似ているんですね。ベルギーのフランク・ファンデンブラウクもドーピングで引っかかった後、鬱病から自殺未遂を引き起こし、結局心臓発作で35歳で死んでしまいました。個人的にはこの選手、1999年のウルリッヒが優勝したときのブエルタで、城塞都市アビラの入り口の石畳の登りでのアタックが、ものすごかったんですよ。この町がまた、アラビアンナイトみたいな異国情緒のある不気味な町で、TVで見た初めてのブエルタで、ほんとうに感動しましたね。

また、以前、拙ブログでもご紹介したスペインのホセ・マリア・ヒメネスも、ドーピング検査で引っかかったことは一度もありませんでしたが、鬱病が原因で引退したあと、パンターニの死の少し前に32歳で死んだのでした。この選手についてはすでに書いたけど、やっぱり1999年のアングリル初登場のステージの大逆転勝利ですね。

パンターニも鬱病だし、3人とも(ヒメネスはあくまで推定ですが)ドーピングの薬の副作用による鬱病の発症だそうです。この頃のドーピングのやり方って、やっぱりかなりむちゃくちゃだったんでしょうね。そういう意味ではアームストロングやチーム・テレコムのかなり大がかりで組織的(チームぐるみ)なやり方は、ある意味(むろん悪い意味で)「画期的」だったのかもしれません。

いずれにしても、すでに先に書いた車とぶつかった大けがの時にも、病院の検査ではパンターニのヘマトクリット値は60%を超えていたそうですから、この時点でつかまっていれば、その後はずいぶん違ったのかもしれません。いわば、スピード違反を犯して、パトカーを振り切って逃げる途中で別の事故を引き起こして、誰かを死なせてしまったり、あるいは自分自身が死んだりするような事件ってときどきありますが、そんなものを連想します。

ヒメネスもファンデンブラウクもパンターニも、三人とも愛称があって、順に「エル・チャバ(腕白小僧)」、「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」、「ピラータ(海賊)」(パンターニの場合は他にもエレファンティノ(子象)なんてのもありました)と、ファンにとても愛されていた選手たちでした。ドーピングをしていなかったら、きっと今も生きていたんでしょう。



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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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