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タッジ「ザ・リンク」 いとしく切ないイーダ

2014.01.17.11:04

年末年始は何十年ぶりかでSF小説を読んでました。以前映画を紹介した「ザ・ロード」(読点の全くない重苦しい翻訳文が内容にとても合っていました)や、その解説で出てきた古典的なウィンダムの「さなぎ」とかゼラズニイの「地獄のハイウェイ」とか、「幻想の犬たち」というアンソロジー(エリスンの「少年と犬」が突出していました)。しょうもないなぁ、むちゃくちゃ忙しいっていうのに、こんなもん読んで。。。といいつつ、その後に読んだのが、少し前に話題になったこの本。
ザ・リンク―ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見ザ・リンク―ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見
(2009/09)
コリン タッジ

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フランクフルト近郊のメッセル・ピットという世界遺産で発見された4700万年前の化石「イーダ」をめぐるお話です。表紙の写真からして、エイリアンのようで不気味ですが、読んでいくと、このイーダがどんな風に生活し、どんな風に死んだのかが綿密に推測されていて、いとおしくなってきます。こいつは今で言うキツネザルかメガネザルみたいな生き物だったらしく(といってもこの二種のどちらに属するかは全然違うらしい)、ちょうど霊長類が進化して原始的な霊長類「原猿類」から、我々人間にまでつながる「真猿類」に移行する時期の、原猿類と真猿類の両方の特徴を備えた生物だというわけです。

ちょうど鳥類が爬虫類から進化したという説を、鳥類と爬虫類の特徴を両方兼ね備えた始祖鳥の化石が証明したように、イーダもそうした進化の端境(はざかい)期の生物で、いわゆるミッシング・リンクなんだそうです。まあ、正直に言ってこのイーダが我々人間の祖先であると言われても、なにしろ4700万年前ですから、桁違いの大昔なので、ああ、そうですかとはなかなか言い難いものがあります。長い尾っぽもあるしねぇ。そういう意味では猿と人間をつなぐという副題は、ちょっと煽ってるかな。

ただ、こういう壮大な話を読むと、「年齢、人種、宗教の別にかかわらず、この惑星にいるすべての人間にとって、これは一つのシンボルだ。私たちはみな共通の祖先や親類を持つ。つまりみな霊長類なのだ」(p.350)という気持ちになるし、ましてや同じ人間同士で何を馬鹿馬鹿しいことで言い争っているんだろう、という気持ちにもなります。

もうひとつ、この本を読んで知ったことに、自然淘汰という言葉の持つ本当の意味があります。自然淘汰とか適者生存というと、たとえば恐竜が滅び哺乳類が繁栄するのは、恐竜の脳が小さく愚鈍だったので、賢い哺乳類が駆逐したという弱肉強食を保証する言葉のように感じます。しかし、これはどうやら19世紀の大英帝国的な考え方に基づいたもので、大英帝国がこんなに繁栄しているのは他の人間よりも優れているからと考え、さらには進化の歴史も同様に優れた者が生き残るという考え方につながっていったようです。まあ、これはナチスの人種思想にもつながるわけですが。

でも、実際はまったくそうではないのはご存知のとおり。恐竜は6500万年前の小惑星の激突で滅び、そのあとを哺乳類が、いままで恐竜が占めていた隙間に出てきただけだということで、極端な話、進化というのには多分に偶然の要素が強く反映されているというわけです。だけど、いまだに世の中では、いろんなケースで、まだ強いモノが弱いモノを駆逐するのは当然だと考えている19世紀の帝国主義的な優越感に染まりきっている人が多いようです。

よく考えてみれば、ぼくらだって、たまたま戦後という時代の日本という国に生まれたおかげで戦争にも行かずにすみ、ごく普通に「健康的で文化的な生活」を送れてきたわけで、時代と場所を自分で選んで生まれてきたわけではないのですから、まず今の自分があるのは偶然にほかならないわけです。

こんな偶然だらけの状態に「自己責任」などという言葉を、困っている人を突き放すために、安易に言うべきではない。選択肢があり、その先の可能性が示されてこそ「責任」が生まれるわけでしょうけど、その前の段階がすでに偶然のたまものなんですから。

そう考えると、この本のエピローグにある次の文章は、人間と他の動物の話ではなく、人間同士の話として読むべき言葉ではないでしょうか。

「万物が神の被造物であるなら、なぜ私たちはそこから離れたところに超然と座を占めたがるのか?私たちはいったいなにさまのつもりなのか?(中略)現代の欧米の経済にも、科学の大半にも、私たちが自然の一部であるという概念はほとんど、あるいは全くない。世界は自分の思い通り勝手気ままに利用するためにあ(り、中略)他の種が(あるいは、ほかの民族さえ)そのプロセスで一掃され(ても、中略)しかたがない、というわけだ。(中略)人類は非常な危地に陥っているが、それは私たちがこの世界を台無しにしてしまったことに負うところが大きい。ほかの生き物たちに親近感を抱くのは賢明な利己主義である」(p.372)

月並みだけど、環境問題にしても、(内外の)格差問題にしても、さまざまな差別の問題にしても、こういう謙虚さがなければ、絶対に解決しないでしょう。もう一度引用しておきましょう。

私たちはいったいなにさまのつもりなのか?!



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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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