自公が選挙で大勝ちしたときに、こうなることはわかっていたけど、安倍もひょっとして選挙向けに勇ましいこと言ってるだけで、実際の政権運営では極端なことはしないんじゃないかとか、公明は頼りになんか全くならないのはわかっていたけど、もう少しなんとかするんじゃないかとか、淡い期待を抱いていたことは確かです。
むしろ逆に国民の側にこれほど反対の声が高まるとは思ってませんでした。でも、もう何を言っても遅いのかもしれません。この社会は数年後にはずいぶんと様変わりしていることでしょう。振り返ってみれば、20世紀が懐かしい。なんだかんだと問題は山積していたとしても、ここまでひどい社会ではありませんでしたから。
そう、その20世紀のツール・ド・フランスで、猿の惑星のような風貌と、呆れるほど細い腰で赤玉マイヨが似合っていたトェニセという選手の記事が rsn に載っていましたので、気分を変えて、ご紹介。

© Winning Tour de France 1988 から、
左はなつかしいセブンイレブンマイヨのアンディ・ハンプステン、右は言わずとしれたデルガド。二枚目選手に囲まれたゴリラ 笑)
トェニセって、ニコニコしないし、なにしろその風貌がものすごかったですから、プロトンのなかでもやたら目立っていました。あまり笑わないし、怖そうだし、かといって凶暴なかんじではなく、後のユースカルテルのロベルト・ライセカなんかに通じるような雰囲気がありました。
さて、かつての山岳王もすでに50歳、心臓のペースメーカーを入れたそうです。だいぶ前から突然意識を失うことがあり、検査の結果、心筋梗塞なので手術をしたそうです。
「去年は回数にして一ダースも発作を繰り返して、意識を失った。俺の心臓は文字通り爆発寸前だったんだ。なんで俺が死なずに済んだかは誰にもわからない。俺の肩には庇護天使が大集団でいるんだって言われてる。ペースメーカーのおかげとはいえ、今現在は順調に生活しているよ。」
もともと、この選手、32歳の時に心臓に問題有りという理由で引退を余儀なくされたのでした。その後になって、長期にわたるドーピングを認めたのですが、この心臓の問題とドーピングの因果関係は、まあ、わからない、としか言えないんでしょう。
そういえば、この選手よくドーピングチェックに引っかかって、たしか1年ぐらいの出場停止もなんどかあったような気がします。ツールも出場停止のおかげで一度参加できず、その間、ラルプ・デュエズで練習を繰り返して100回登ったとか言っていたのでした。
しかし、今から考えてみると、あれはどういうことだったんだろう? 例えばおなじPDMチームで仲良しの相棒ステファン・ロークスなんかも最近告白したような記事をどこかで見たけど、みんなやっていたなかで、どうしてトェニセだけなんども引っかかったんでしょうね? 単に運が悪かっただけなのか、それともやっていた薬の量がハンパでなかったのか??

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