長崎家族旅行は雲仙で温泉につかり、島原城と武家屋敷を見、長崎では平和教育と教会と夜景を満喫し、最後はハウステンボスで過ごしてきました。ハウステンボスって行くまでまったく考えもしなかったんですが、オランダ語なのね。帰ってから辞書で調べたらテンって at とか in に当たる前置詞と冠詞の融合形らしいです。ラオレンス・テン・ダムなんていう選手がいるけど、堤防のそばのラオレンス君という意味でしょうか。オランダの風車がどうやって水を汲み上げていくかもよく分かりました。
というわけで
このステージ、リアルタイムで見てないんだけど、かなり緊迫したものだったようですね。下に埋め込んだYouTubeでみると最後アルゴスの列車が追いかけてますが、先頭の小柄な選手はフレーリンガーですね。拙ブログとしてはビミョーです
。しかもオメガ・ファーマの選手にかぶせられているし。。。笑)
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こんなに長距離を一人で逃げるとは思っていなかった。スタート2キロで逃げることも計画外だった。たしかに小さな逃げグループに乗ることは目論んでいた。そして今日の逃げグループは本当にちいさなものだった。私一人だったのだ。
175キロは殺人的な距離ではない。最初は力をセーブして走れば、後からスピードを上げて、追ってくる選手をいらだたせることができるのはわかっていた。ウチのチームにとってもよかったはずだ。チームは仕事をする必要はないし、かりに私がつかまっても、ジャンニ【メールスマン】でスプリントできるからだ。
ゴール35キロでまだ2分のリードがあった。充分とはいえなかったので、賭に出なければならなかった。のこり30キロでわたしは個人TTを開始した。どれぐらいのワット数で走れば良い走りができるかは分かっている。プロトン対わたしの闘いだ。これは少々ヘンな話だがうまくいった。
ゴール15キロ前で集団が見えるようになり、みんなはもうすぐわたしを捕まえられると思ったことだろう。正直に言えば、わたしもそう思った。しかしそこからわたしの野心に火がついた。そしてスピードを上げた。差は一定のままだった。たぶん後ろの追走する何人かは売り切れ状態だっただろう。しかし残念なことに、わたしが勝利するためには15メートル長かった。最後のシーンは下で見ることができる。たしかにチャンスを逃した。一日中先頭で走れば、なんとかして勝ちたいと思うものだ。しかしこの一日をわたしはポジティブに考えたい。調子は最高に良い。これを世界戦まで維持できれば満足だ。いまはこれ以上調子を上げすぎないように注意しなければならない。
ゴールして他のチームから沢山の選手がわたしのところに来て、肩を叩いたり、今日の走りを賞賛してくれた。コンバッティブ賞の表彰式でも沢山の人達が集まりわたしに声をかけてくれた。おそらく人々の心に残る走りを見せることができたのではないだろうか。表彰式から引っ込むと、今度はレースの主催者たちがわたしのパフォーマンスに感謝してくれた。勝つことはできなかったけど、わたしのファンに、そしてこれを読んでくれるみなさんに喜んでもらえたと思う。
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----追記--
これ最後のところの音声がきれてます。こっちは音声が入っているので、こちらの方が良いですね。アナウンサーが興奮しきっちゃって、アンビリーバブルの繰り返しで、最後はカモン・トニーと絶叫、ゴール後しばらくして涙声になっているのがわかります 笑)長いですが、1時間で残り6キロからになります。
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