ちょっと捜し物をしていたら、本棚の奥の方から出てきました。第一次大戦を舞台にしたドイツの作家レマルクの小説。奥付を見ると昭和46年とあります。高校生の頃にまず映画を見て、それから原作を読んでみたのだろうと思います。ただ、これ、当時読んで意味わかったかなぁ。無理して背伸びして読んでいたのは間違いないだろうと思いますね。
本箱から出てきたのは同じ 新潮文庫なんですが、表紙の絵はちょっと違いますね。上のはあきらかに映画の最後のシーンからですね。
映画のほうはTVで見たはずです。白黒の1930年のアメリカ映画。淀川長治が解説していたのを覚えてます。なんと、いまは500円で買えるんですね。
高級な軍靴が次々と人手に渡っていくシーンとか、砲弾の穴の中で、主人公が銃剣で刺した瀕死のフランス兵と二人だけで過ごすシーンとか、たぶん今見たらずいぶん古風だと思うだろうけど、白黒だけにリアリティがすごくあって、その後、池袋の文芸座の地下でも見た記憶があります。塹壕戦のシーンが延々と続いたところでは完全に凍りついたみたいに動けなかった記憶がありますね。シーンが変わった瞬間、あちこちでため息や姿勢を変える音がざわざわとしたのでした。僕にとって反戦映画としてはこの映画とソ連映画の「炎628」の二本が双璧かな。その後のプライベートライアンとかも、冒頭20分ぐらいはものすごい臨場感で、その場に居合わせたような怖さがあるけど、やっぱり作り物じみた印象が強すぎて、どこかで白けている自分がいます。
レマルクは同様に「愛するときと死するとき」というロシア戦線を舞台にした映画があって、これもドイツ軍の若者を主人公にしているアメリカ映画で、そういうのが好きで、同様に高校時代に原作を読みましたっけ。主人公と恋人の交情シーン 笑)、古文の授業中に読んでいて見つかり、教師にむちゃくちゃ怒られましたっけ 笑) こちらはさすがにもう古本しかありませんね。映画のほうも今は手に入らないようです
さて、「西部戦線異状なし」からです。映画の中にも同様のシーンがありましたが、本から。ちょっと訳が古風かもしれませんが、今読んでも通用します。戦闘の合間にみんなが、「戦争ってものは、どういうわけで起こるのか」を話し合っているところです。
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「大がい何だな、一つの国が、よその国をうんと侮辱した場合だな」
「なに、一つの国だって。それがわからねえ。一たいドイツの山がフランスの山を侮辱するなんてことは、できねえ話じゃねえか。山でなくったっていいや。河でも森でも麦畠でもいいや」
「貴様はそもそもそんなことのわからねえ馬鹿なのか、それともわざとそんなこと言いやがるのか。おれの言ったなあ、そんな意味じゃねえ。ある国民がよその国民を侮辱した場合だ…」
「そんならおれたちはここで何にも用がねえじゃねえか。おれはちっとも侮辱されたような気がしてねえものな。そんならおれは家へ帰ってもいいな」
「なに言ってやがるんだ。国民と言ったって、全体だよ。つまり国家ってやつだよ…」
「なにが国家だい。憲兵のよ、警察のよ、税金のよ、それが貴様たちのいう国家だ」
「貴様初めて本当のことを言ったぞ。国家というものと故郷というものは、こりゃ同じもんじゃねえ。だがそいつは両方とも一つものにくっついてるからなあ。国家のねえ故郷というものは、世の中にありゃしねえ」
「それはそうだ。だが考えてみねえ。おれたちはみんな貧乏人ばかりだ。それからフランスだって、大がいの人間は労働者や職人や、そもなけりゃ下っぱの勤人だ。それがどうしてフランスの錠前屋や靴屋がおれたちに向かって手向いしてくると思うかい。そんなわけはありゃしねえよ。そいつはみんな政府のやることだ。おれはここへくるまでに、フランス人なんか一度だって見たことがねえ。大がいのフランス人だって、おれたちと同じこったろう。そいつらだっておれたちと同じように、何がなんだかさっぱり知りゃしねえんだ。要するに無我夢中で戦争に引っ張り出されたのよ。」
「そんなら一たい、どうして戦争なんてものがあるんだ」
「なんでもこれは、戦争で得をする奴らがいるに違えねえな。戦争の裏にゃあ、確かに戦争で得をしようと思ってる奴が隠れてるんだ」(秦 豊吉 訳)
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まさに真理です。この本は世界中で大ベストセラーになったんですがね。 それでも二度目の世界大戦が防げなかったわけです。

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