自分の国を愛するってどういうことでしょうね。先日、
大島渚について書いたエントリーに、数回、日本はアジアになんの迷惑もかけていないと、安倍晋三すら言わないことを言い張り、あげくに日教組は反日的で愛国者たちを排除した、とコメントしてきた方がいましたがね。僕が若い頃には右翼暴力団の街宣車が、よく日教組の悪口を大音量でがなり立てながら走っていたものです。当時の良識ある人たち、というより普通の人はそんな宣伝を無視するか、むしろ反感を持ったものでしたが、いまの若い人達はそうではないようですね(ついでながら、コメント氏はわたしと同世代という触れ込みでしたが、まあ、いろんな意味でそれは信じられないですね)。
以前にもヒトラー暗殺計画の映画と絡めて、国を愛するってどういうことか、ちょっとだけ考えてみたことがありましたので、そこで書いたことは繰り返しませんが、自分の国を愛するって、別にそれに反対意見を述べる人はあまりいないでしょう。自分を愛する→家族を愛する→地域を愛する(高校野球ではつい地元を応援するでしょう?わたしは東京っ子なのであまりそうじゃないんですが)→国を愛する、と、こんな風につながっていくんでしょうかね。普段意識していなくても、この前のエントリー
「うちなる差別意識を憎め」でも書きましたが、咄嗟の時にはつい「俺は日本人だ」っていう気持ちが出てしまうものでしょう。まあ、このエントリーではそれがつい差別意識と一緒にでてしまったことが、当時の僕がめげた原因でありましたが。
ただね、鈴木邦男も書いていたけど、他国へのリスペクトがなくて愛国なんてありえない、ってのは間違いありません。せめて、他国の人々もそれぞれ自分たちの国を愛しているっていうことに対するリスペクトがなければ、「国を愛する」なんて語る資格がありません。だからこの前のコメント氏も含め、昨今のネトウヨが口にする愛国はかなりいびつでグロテスクなものでありましょう。
それにしても、ネトウヨの方々はなぜ日本だけは特別な国にしたがるんでしょうね?そして一昔前の反共右翼団体ががなりたてた日教組の反日性を繰り返す。。。日教組や共産主義を信じる人が日本を愛してなかった(ない)はずはないよね。だれだって自分の住んでいる国を愛しているし、もっと良い国になって欲しいと思うわけ。ふと、思いましたが、ネトウヨさんたちはこれが嫌なのかね?
つまり、
もっと良い国にするためにはそれなりにいろんな事を知らなければならない。その過程で、現在の日本という国が抱えている様々な問題点を直視しなければならない。そういう自分の心を波立てなければならないことはしたくないっていうことなのかな?現状肯定、面倒くさいことは考えず、波風立てる奴らは「反日」だと言っていれば、それで自分の意見があるようなふりができるからね。どうすれば少しでも良くなるかを考えるより、たんに敵を作って憎んで、その敵がいなくなりさえすればすべては良くなると思っていたほうが簡単だからね。ネトウヨさんたちが嫌がっているのは「知る」ことなのかね?
しかし、考え方を変えれば、カルト宗教みたいなものですよ。カルトの定義は微妙だから、こういう一言で片付けるのはどうかと思うけど、あえておおざっぱな比喩を言わせてもらえば、誰だって神様(人格神でなくても、自分をこの世にあらしめた何らかの宇宙の意志というか法則というか)を畏れる気持ちはあるでしょう。でもそれが行きすぎて、自分が信じている神こそ本当の神だ、と主張してみんなに強制してきたら、そして神など信じてなかったり、その他の神を信じる人達をあしざまに罵ってきたら、やっぱりかなり迷惑なわけです。こんなのって、ちょっと考えれば、すぐ分かることだと思うけどね。
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