以前のエントリーを見ればわかるように、ぼくは小沢一郎の熱心な支持者ではなかった。いまは、ほかに選択肢がないので、脱原発、反消費税、反TPPを旗印にした小沢一郎の党を支持しているわけである。
しかし、今回、無罪が決定したわけだが、結局、2009年の検察と大手メディアの小沢つぶしがなければ、あのあとの民主党が大勝ちした選挙で小沢が首相になったのはまちがいなかったわけで、そうなっていれば、ひょっとしたら(あくまでもひょっとしたらだが)普天間も、霞ヶ関の改革も、検察の改革も、大手マスコミの記者クラブも、中国との関係も、そして自立支援法も、いまとは全く違っていたかもしれないのだ。
しかし、今日の朝日の夕刊(以前書いたように、我が家は東京新聞にしたんだけど、朝日の勧誘員の老人の土下座をせんばかりのお願いに負けて、またいまは朝日に戻ってしまった。もうすぐ東京新聞に戻るんだけどね)を見れば、無罪になったという事実関係だけを一面の左隅に上げているだけだ。何のコメントもない。無視の構えってわけだ。
追記。朝日の朝刊、社会面では相変わらず「民意」による起訴だったことを強調する見出しで、検察官役の「やれることはやった」という言葉をサブ見出しにしている。あくまでも無罪になった小沢側からの視点ではない。そもそも検察審査会が起訴を決めたときの調書がねつ造だったことが明らかになっているのに、つまり起訴そのものが嘘の調書に基づいたものなのに、そこは無視。あきらかな作為がある。恐ろしいことだ。2012,11/20,7:50
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