予想通り、フォイクトとフレイレがアームストロング事件を大批判してますが、これはもう想定内でした。とくに、フレイレは、アームストロングを擁護した同じスペインのバルベルデやコンタドールたちとは違って、アームストロングは俺が愛している自転車というスポーツを冒涜した、と怒りまくっていますが、まあ、今日はこの話題はパスして別の話題へ。【11/1、22:30追記、コンタドールは修正発言をしてます。アームストロングが有罪なら当然これまでの勝利は取り上げるべきだとのこと。】
自転車ファンはもうすでに大分若い世代の人が多くなっただろうから、自分が生まれた年のツールの優勝者はレモンだ、とかインドゥラインだという若い方もいることでしょうね。さすがに拙ブログをご覧の方で、ボクが生まれた年の優勝者はアームストロングだ、という方はいらっしゃらないとはおもいますが 笑)
かく言うわたしは1956年生まれなので、ビデオなどまったく存在しなかった時代です。この年のツール優勝者は、ツール史上一番の大番狂わせ。ワルコヴィアクというポーランド移民の炭鉱労働者の息子が優勝した年です。

© LÉQUIPE, Tour de France 100ans. 1947-1977
手前の選手です。後ろに見える伴走車もすごいですねぇ。ただ、もう少し古くなるとジープが走ってますけどね。
ところで、大番狂わせと言ったのは、この人のツールでの成績は1951年から58年の間に4回出場していますが、総合57位、47位、優勝、75位という成績なんですね。現代のツールから考えると、 ありえねーっ! てやつですね。総合上位になったこともない選手がトートツに総合優勝ですよ。そして翌年は75位!
むろん、前年の優勝者のボベが不出場、この後のツールを席巻するアンクティルもまだ出ていないんですけど、でも上の写真の右側に移っているのは山岳の天使シャーリー・ゴォル(1958年総合優勝)だし、ほかにもトレドの鷹と呼ばれたバーモンテス(1959年総合優勝)やガストーネ・ネンチーニ(1960年総合優勝)やスタン・オケルス(1955年の世界チャンピオンで、ツールでも総合2位に2回)なんていう蒼々たる強者揃いの時代です。
さらにこのワルコヴィアク、ステージ優勝はゼロどころか、3位以内すらない。プロ10年間で10勝というと、それなりな感じもしますが、ほとんどは現代ではすでに行われていない地方レースばかりで、わずかにブエルタのステージ2勝があるだけ(といってもそれはそれですごいけど。ただ、当時のブエルタはまだ開催されて20回目になっていないステータスの低いレースですが)。しかし、そんな戦績一覧のなかで、完璧に場違いな輝きで1956年のツール総合優勝が屹立しています。
ツールの歴史を見ると、こういう運のいい選手がいる一方で、レイモン・プリドールのように、あきれるほど運の悪い選手もいるわけ。
さあ、みなさんも、自分の生まれた年のツールがどんなだったか、知りたくなったら、右の Amazon にある「ツール100話」を読んでみましょう、と、今回は宣伝でした 笑+汗)
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