ポール・ニューマンの「暴力脱獄」という映画があった。題名から思い浮かぶような暴力性はないんだけどね。
ぼくはかなり大昔にTVで見た。今はもう細部までは覚えていないけど、ポール・ニューマンが茹で卵を50個食べて賭けに勝つとか、手錠のまま脱獄して、黒人の少年をうまくたぶらかして斧で鎖を切ってもらうシーン、看守がカウボーイのような帽子とレーバンのサングラスをしていたことなんか、よく覚えている。
で、内容はつまらない罪で刑務所に服役し、懲役刑を受けて道路建設作業をさせられるポール・ニューマンが繰り返し脱獄を試みるっていう映画だった。
当初彼を馬鹿にしていた他の囚人達は、茹で卵のあたりからだんだんニューマンの不屈の精神と反骨心に魅せられ、彼が逃げるたびに応援するようになる。そして最後、ニューマンがいなくなった後も、残った囚人達は、ニューマンがいかに凄い奴で、いつも笑っていたかを伝説のように話し合うっていう内容だった。
この映画は有名だからいろんな人がいろんなことをいっているけど、ぼくは最後のシーンを見ながら、なんとも割り切れない気持ちだったのを覚えている。いや、むろん映画としてはとてもおもしろい映画で★5つつけても良いと思うけど。
つまり、残された囚人達は何にも変わらない重労働のなかで、反抗心をまったく持たないまま、ただ、かつて反抗心を持った男を英雄視し、伝説化して、それでおしまいにしている。
古来、人間は凄い奴、普通の人にはできないことをするような奴をヒーローとして祭り上げ、そういう奴は俺達とは違うんだ、っていってため息をついてきた。
大昔の白戸三平の漫画「カムイ伝」でも、一揆の首謀者達は殺され、人々は彼らをあがめ奉って、結局世の中は変わらない。これじゃあ結局犬死にだよ。もっとも、人類の歴史は犬死にの連鎖なのかもしれないけど。。。
湯浅誠の「ヒーローを待っていても世界は変わらない」を読んだ。
この人はもう
心底尊敬に値すると思っているんだけど、この本も題名がすべてをあらわしている。当たり前のことを当たり前に書いている。ところが、問題は湯浅本人もいうように、普通の生活や仕事に追われている人々にとっては、こうした当たり前のことを考えるだけの時間がないということだ。時間、つまりゆとりがないと、手っ取り早く誰かを悪人に仕立て上げて、それをやっつけてくれるヒーロー(切り込み隊長)が欲しくなる。だけど、
ヒーローを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは、世界は良くならない(p.156)
こんなのちょっと考えてみれば、当たり前の話だ。多くの、仕事に明け暮れて政治の話なんかごめんだ、と思っている人に、
是非とも読んでもらいたいと強く、強く、思う。民主主義ってどういうものかを改めて考えさせてくれた本には、結構話題になったこんなのもある。
こちらはやや分厚く、脱原発を意識して書かれているけど、現在の日本の状況と、ここに至る戦後日本、さらには西洋のギリシャ時代からの民主主義というものの成り立ちを整理するのに役立つ。まあ、この西洋哲学史みたいなところはある意味読みづらいんだけど、特に最初の日本型工業化社会の崩壊をたどるところはわかりやすく、いろいろとうなずかされた。
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